ひいいの麻雀研究  ひいいの麻雀研究

 3−01 待ち読みの基本
 待ち読みの基本、見えている牌、「読み」の種類など。

    守備の基本的な考え方
     第3部 待ち読みの理論 の始まりである。
     第2部 手作りの理論 では、攻撃面、第3部 待ち読みの理論 では、守備面の観点から記述している。
     初心者を対象として書いていない。もし、用語が判らなければ、1−01麻雀用語を参照されたい。

     「降りれば負ける、降りなければもっと負ける」・・・麻雀の守備のことを見事に言い表している名言である。

    ●攻めと守り

     囲碁・将棋もそうだが、麻雀においても、攻めと守りがある。何が攻めで何が守りかを明確にしておく必要がある。
     麻雀における最高の攻撃の形態は、立直である。攻撃力を最大にして、防御力を最低にする行為である。
     立直をかけた後に、他家の和了牌を自摸したとする。これが自分の和了牌でなく、暗槓もできなければ100%放銃するしかない。放銃だけでなく、副露させてしまう、さらに、包(パオ)を打つ(3つめの三元牌を鳴かせてしまうなど)など、は最悪 の事態である。
     立直は、飜数を1つ増やすが、守ることができなくなる戦術なのである。

     立直の次に防御が弱くなるケースは副露である。極論で、四副露した時のことを考える。四副露して裸単騎になると持ち牌は1枚。自摸して2枚のうち、片方を切らなければならない。見え見えの三六萬待ちの他家立直に対して、六萬を自摸ってしまったら、残りを捨てればいいが、筋で三萬と六萬を掴んだら、放銃するしかない。立直に次いで危険な行為である。

     門前(副露をしていない状態)で、立直をかけていない状態、これは13牌持ちで、自摸って14牌、この時が最も防御力が高いと言える。危険牌を掴んでも、降りる、回すことができる。

     よって、防御が強い順序は、
    門前非立直一副露二副露三副露四副露立直
    13枚 10枚 7枚 4枚 1枚 0枚
    となる。

     副露について、もう少し言及する。他家の立直後(または聴牌後)に、ポンをしたとすると、これはチーよりも防御力が弱まる。なぜか? 「ポンする」ということは、「その立直をかけた他家の安牌を2枚、手牌の中に持っていたのにそれを殺す(使えなくする)」から、なのである。非副露で13枚持ちであった時、他家の誰かが捨てた牌は、安牌である。それがポン可能であるということは、その時点で安牌を2枚、自分の手牌の中に持っているということである。そして、それをポンしてしまうと、手牌は10枚に減り、絶対安牌2枚は手牌からなくなるのである。そのポン後の捨て牌から放銃率が高まることは言うまでもない。他家に立直がかかろうと黙聴(ダマテン)であろうと、または、今は聴牌していなくとも、ポンをするという行為は、チーよりも、防御力を下げる行為なのである。
     「鳴いて飛び出る当たり牌」という麻雀格言があるが、よく麻雀の実態を言い当てており、特にポンの場合に起こりやすい。

    ●待ち読みの理論構成
     待ち読みは、見えている牌・河読み(筋読み・ドラ所在読み・役読み)・他家牌構成読み(壁読み・役読み)・山残読みなどに分類できるが、これらは、以下の図のような理論構成になる。
    見えている牌 河読み
    (筋読み・役読み・ドラ所在読み)
        
          
    壁読み     
          
    他家牌構成読み
    (役読み・待ち牌読み)
    山残読み 自家自摸牌予測
       
    危険度判断他家自摸牌予測  

     見えている牌から、河読みと壁読みを行う。
     河読みでは、ある特定他家における筋読み・役読みを行い、ドラ所在読みは他家3人の河の比較で行う。
     壁読みと河読みから、他家牌構成読みを行う。ある特定他家の面子構成を読み、役と待ち牌を読む。
     他家牌構成読みの結果、山残読みが可能となる。
     山残読みの結果、他家自摸牌予測と自家自摸予測(ここだけは守備と無関係)が可能となる。
     他家牌構成読みの結果、危険度判断が可能となる。
     
    待ち読みの基本
    ●待ち読みの基本

     麻雀は、4人がやっていて和がるとしたら4人のうちの誰かであり、自分でない可能性の方が3倍高い。
     和了(ほうら)つまり和がりには、栄和(ろんほう)と自摸和(つもほう)の二種類がある。栄和は他家3人の捨て牌および他家が加槓した牌(槍槓のこと)から和がる方法であり、自摸和は自家の自摸および槓した後の王牌(嶺上開花のこと) から和がる方法である。
           ┌─栄和(ろんほう) ─┬─捨て牌栄和
        和了─┤           └─槍槓
           └─自摸和(つもほう)─┬─自摸牌自摸和
                       └─嶺上開花自摸和
     単純な算数レベルの確率で考えると、役がある状態では、栄和は自摸和の3倍も確率が高いことになる(自摸和は自分1人の自摸牌に因るものであるのに対して、栄和は他家3人の捨て牌に因るものであるからである)。しかし、現実には栄和は自摸和の3倍になっていない。3倍より少ないのである。栄和は自摸和の1.904倍(約2倍)である。これをバイロンの法則(うたた姫命名)と言う。
     なぜか? なぜ、4人で打つ麻雀の和了において、自分1人が自摸する牌と他家3人が捨てる牌の倍数が3倍ではなくて、2倍弱なのか?
     これには2つの理由がある。1つは、他家がロンされないように抑えるから、もう1つは、門前で役がなくて自摸和でしか和がれない場合があるから、である。

     4人のうち3人がガードをし、1人がノーガードだとすると、その1人はたちまちのうちに点棒を失うことになる。タコづきで悪運強く勝ってしまうこともなきにしもあらずであるが、運などは長続きせず、蜂の巣状態になる。

     「4人のうち和がるのは1人」ではあるが、和がる確率は25%ではない。流局があるから、である。
     流局率を提示する。
    (1)開始時流局九種九牌倒0.73%0.84%
    四風牌連打0.05%
    (2)途中流局四家立直0.04%
    四槓算了0.01%
    三家和0.01%
    (3)終局時流局荒局12.82% 
     これらの流局率を全部足すと、13.66%になる。100%−13.66%=86.34%で、これを4で割ると、86.34%÷4=21.59% になる。
     あなたが、次の局に和了できる確率は、21.59%である。この値は3÷14に近い。1東風戦あたり平均約7局である。つまり、東風戦を2回(14局)やって、3回和了する、のがほぼ平均なのである。


     麻雀はまずは自分の手作りから覚えるが、自分の手作りのパターンが固まってくると「読み」ができるようになってくる。「こういう場合にはこういう捨て牌をする」というパターンが判れば、「こういう捨て牌はこういう手牌からできてくる」ということが判ってくるのである。
     そして降りること、危険牌(正式には病牌(びんぱい)という)を抑えること、回し打ちすることを覚える。
     戦いは、本物の戦争でも囲碁でも将棋でも、攻めと守りの両方があり、両方を併せて戦術となる(戦略の話は1−05麻雀論を参照)。「攻撃は最大の防御」という言葉もあるが、全く他家への警戒なく自分の都合だけで捨て牌選択をしたら、その場限りはたまたま勝ったとしてもトータルでは必ず負けになる。麻雀巧者は、守りがうまい。
     「自摸られ貧乏」という言葉がある。せっかく栄牌(ろんぱい)を抑えても、自摸られれば結局損をしてしまうということである。また「親かぶり」という言葉もある。これは、親は自摸られると、子の2倍も点棒を支払わなければならない、ということである。しかし、自分が直接振り込むより自摸られる方がずっと傷口は浅い。安直な振り込みは厳に慎むべきである。

     では、ひたすら守りに徹して絶対に放銃しないようなガードの堅い麻雀を打てばいいのかというとそうではない。守りだけでは勝てない。攻めなければ勝てない。
     麻雀を長くやっている人は誰でも経験があるのではないだろうか。放銃することを避けるためにひたすら守りに徹して勝てなくなる、という時期を。
     大きく負けないが、決して勝てない専守防衛。しかし、麻雀は勝たなければ面白くないのである。(麻雀を打つ目的・目標については1−05麻雀論を参照)

     麻雀は可能性を読む競技である。「こちらの方がこれだけ(定量的に)和了可能性が高い」「こちらの方がこれだけ(定量的に)危険度が高い」と正しく読めた者が勝つ。

    ●他家病牌を抑えなければ必ず、栄和は自摸和の3倍になるか?

     他家病牌[びんぱい](危険牌のこと)を抑えなければ、算数通り、栄和は自摸和の3倍になるかという命題について考察する。
     これを客観的・論理的・定量的に解明して答えを出すことは大変難しいことであり、現時点の私には定量的な答えを出せる能力も時間もない。
     しかし、ある程度容易に立てられる仮説と立証方法について述べる。
     他家病牌を全く抑えなくても、栄和は自摸和の3倍にはならない、という仮説である。
     このようなことを言う人がいる。「自分の不要牌は他家の必要牌である」と。こういうケースもあろうが、総じて言うと当然この命題は成り立たず、むしろ逆のケースになることの方が多い。「自分の不要牌は他家の不要牌である」という命題、「自分の必要牌は他家の必要牌である」という命題、どちらも成り立つのである。
     では、「自分の不要牌がどの程度他家の必要度があるか」、または、「自分の必要牌がどの程度他家の必要度があるか」について、どのように検証できうるかというと、
      (1)必要牌欲求度の定量化(人間の欲しいと思う気持ちの定量化)
      (2)牌単体エネルギー理論
      (3)面子構成理論
    に因る。必要牌欲求度の定量化は、アンケート調査法によって可能である。7点尺度のアンケートを作り、多くの被験者に「あなたは、この牌姿でこの牌をどの程度必要だと思いますか?」という質問に答えてもらう方式である。このアンケート調査を多くの被験者に対して実施し、結果を統計分析することにより、平均的な必要度を算出することができる。
     また牌単体エネルギーを考えると、西が最も牌単体エネルギーが低く、数牌の4と6が最も牌単体エネルギーが高い。
     面子構成理論とは、確率的に作りやすい面子と作りづらい面子を定量的に計算する理論である。北北北の刻子よりも111の刻子の方が構成しやすい。111の刻子よりも123の順子の方が構成しやすい。123の順子よりも456の順子の方が構成しやすい。面子を構成するためには3枚の牌が必要であり、それは刻子 (槓子を含む)か順子により構成されるが、当然、刻子よりも順子の方が作りやすいし、最も面子として構成が多いのは数牌456の順子である。これを定量化したものである。
     この牌単体エネルギー理論と面子構成理論の可能性を数学的に解明すれば、「自分が他家の病牌を意識的に抑えなくとも、ある程度は他家に必要な牌を持つことになる」という理論を展開できる。
     判りやすく具体的に言うと、自家が客風西を不要と感じると同様に、他家も西を不要と感じる(当然西家にとって西は門風なのであるが、門風だからと言って必ずしも必要だとは限らない)。四萬を面子、または搭子、または浮き牌として自家が必要とするのと同様に、他家もまた四萬を必要とするケースが多い。
     この検証は、序盤において、何を必要、何を不要と感じるかを考えると、幅広く自摸ロスのないように受け口を広げる需要から、不要牌は少ないと言える。それに対して、聴牌後に必要な牌は、和了牌か、手変わり三色同順や手変わり断幺九など、役をつける目的の牌に限られ、必要牌は減ることになる。
     この検証は、何向聴の時に何がどれほど必要と思うか、という人間の欲求を数値化することと、牌単体エネルギー理論と面子構成理論の解明によって、可能となる。

    ●待ち読みの定義

     待ち読み、とは、字義通り、「他家の待ちを読むこと」が基本となる。
     よく麻雀プロが書いた本などに載っているのは、ある他家の捨て牌だけが提示されていて、「私はこの捨て牌相から、当たり牌を三六索の一点読みした」というような記述である。はたまた一点ではなくとも、「三六九索か、二五筒か、萬子の下の方と読んだ」というような記述もある。
     だいたいにおいて、その麻雀プロの読みは見事に当たっている、ことになっている。
     訓練すれば、理論を組み合わせれば、このようなことは可能なのであろうか? 先に結論から述べると、このように当たり牌を数点に絞り込むことは、殆どの場合、不可能であり、訓練や計算(解析)によってこのような読み方はできない。
     一点読みでなくとも、三点読みなどは、このようなイカれた麻雀プロの戯言であり、麻雀劇画、麻雀小説などの読み過ぎによる悪影響である。実戦においても、たまたま和了牌を止めた人が流局時に、「やっぱりこれかあ」などと言っているが、本人自身に勘違いして欲しくないのは、一点読みでなくとも、三点読みで、読んだのか、ということである。
     また、当たり牌が何であったかを知ることによる学習効果は、待ち読みに関してあまりない。むしろ、誤解と誤認識を生む可能性の方が高い。「三六索待ちだったのか」と知ることによる学習効果というのはあまりないということである。結果を知ることにより、「三六索」が100%であるような誤解をしてしまうのである。もちろん、結果は何待ちであったかという答えがあるのであるが、次に待ち読みをする上において、前回の待ちが何待ちであったかという情報はあまり役に立たない。

     大量の牌譜を解析して、全く同じ捨て牌で聴牌したケースを拾い出し、その和了牌を比較すれば、答えは出る筈である。全く同じ捨て牌の時に、全く同じ待ちである筈はないのである。配牌も自摸牌も異なるのである。ただし、このような解析をすれば、何らかの傾向が掴めることは予想できる。捨て牌からの読みについては後述する。

     まず、待ち読みに対する姿勢として、三点読み(ましてや一点読み)などということは忘れることである。
     「絶対に当たらない牌(絶対安牌)」はありうるが、「絶対に当たる牌」はあり得ない(オープン立直などは別)のである。これは真理である。
     牌は34種類ある。34種類の牌には危険度の濃い、薄い、がある。実戦中にコンピュータなどを使って計算する訳にはいかないので、人間は、経験と自分の知っている待ち読みの理論から、34種類の牌に危険度を付ける。34段階の危険度を付けられればそれが最もよいが、実際にはそこまで付けられない。私はおおよそ10段階くらいの危険度を付けている。最も危険、次に危険、その次に危険、というような段階を付けることにより、危険度を定量化できる。
     この危険度の段階的定量化こそが、待ち読みの基本となる。

    ●他家捨て牌から読むのではない

     よく麻雀プロが書いた本などに載っているのは、ある他家の捨て牌だけが提示されているものである。そして、そこから待ち読みがスタートしている。これは多くの雀士に大きな誤解を与える。他家待ち読みをする時に、例えば立直者の待ちを読もうとした時に、その立直者の捨て牌だけをじっと見て判断しようとしてしまう。
     もちろん、その立直者が何をどういう順番で捨てているのか、字牌の捨て順、同色牌の捨て順、間を置いているか、対子切りがあるか、自摸切りか手出しか、ドラそばの出方、立直牌、光り牌など、というのは待ち読みの情報として当然必要なのであるが、それ以上にと言うべきかそれ以前に、認識しておくべき重要な情報がある。
     それは、自家からの「見えている牌」である。立直者の捨て牌、その立直者以外の他家の捨て牌、自分の捨て牌、副露牌、ドラ表示牌、そして自分の手牌、これが自家からの「見えている牌」のすべてである。そしてその見えている牌を元に、他家の面子構成の可能性と確率を探るのである。
     単純な話、立直者は早い巡の立直で、字牌と萬子しか切っていないとする。見えている牌の中に、5索が2枚、5筒が1枚あったとする。4索と4筒はどちらが危険か? 答えは簡単で、4筒の方が危険なのである。5索が2枚見えている分、4索を待つ搭子、23索・35索・56索・44索は構成しづらいのである。ここで言いたいことは、「4索は当たるのか否か」という二値論ではなく、「4索と4筒はどちらの方が安全か」の相対比較論であるということなのである。
     もっと極論すると、配牌時点で誰も捨て牌をしていない状態、この配牌時点で対面が聴牌しているとしたら、何が危険かを読むことができるのである。捨て牌情報は0枚なので、自分の持ち牌13枚と、ドラ表示牌1枚から読むのである。

    ●一発と河底撈魚

     放銃するタイミングによって飜数が変わるのは、一発と河底撈魚である。
     一般に点数が倍になるので、なるべく一発と河底撈魚に関しては、安牌を切るべきである。

    ●ドラ筋とドラ跨ぎ筋

     ドラを含む面子を構成しようとすることは、誰でも考えることであり、それゆえ、ドラ待ちやドラ筋待ち、ドラ跨ぎ筋は多くなる。

    ●裏筋

     裏筋は危険であるのだが、どの程度危険であるのかは、後の章で詳述する。

    ●他家動向の把握

     特に初心者に多いが、自分の手牌ばかりを見ていて他家の捨て牌や鳴きなどに全然注意を払わない人がいる。これではトータルで勝負に負けることになる。
     他家動向をしっかりと把握し、他家の動きに対する対処行動をしっかりと取らなければならない。
     他家の待ち牌が何であるか、ということを序盤に考える必要はあまりない。序盤の他家動向読みには、役読みと、聴牌速度読みが必要である。変則手を目指した場合には序盤から捨て牌相に出ることが多いので、それをしっかりと見る。また、変則手でない場合でも、早い巡に要頂牌が表れる場合は、向聴数が少なく、聴牌が早い、と読むことができる。
     序盤の他家捨て牌の読み方については、後述する。
     他家の副露時には、副露した牌から自分の手牌に対する影響を見極め、副露した他家の役読み・待ち読みをした上で、副露した人以外の他家の対処行動も観察する。

    ●見えている牌

     麻雀は情報戦である。
     見えている牌が多い人ほど得をし、少ない人ほど損をする。「見えている牌の数に違いはない」とあなたが思うようであれば、まだまだ修行が足りない。
     どんな人が見えている牌が多く、どんな人が見えている牌が少ないのか?
     答えは実に簡単。副露していない人が見えている牌が多く、副露している人が見えている牌が少ないのである。
     1回のポンかチーをした人は、他の鳴かなかった3人に比べて、3枚、見えている牌が少ないことになる。鳴いた牌自体は捨て牌なのでそれは全員に見えている牌である が、自摸る代わりに入手する鳴く牌は他の人に見えている(自摸した牌は見えない)ので、鳴いた当人が手の中から出す2牌を含めて、3牌が、他家に情報を提供してしまう牌である。
       A:鳴き
       B:+3
       C:+3
       D:+3
     2人がそれぞれ1回のポンかチーをした場合、鳴かなかった2人に比べて、3枚、見えている牌が少ない。
       A:鳴き +3 → +3
       B:+3 鳴き → +3
       C:+3 +3 → +6
       D:+3 +3 → +6
     3人がそれぞれ1回のポンかチーをした場合、鳴かなかった1人に比べて、3枚、見えている牌が少ない。
       A:鳴き +3 +3 → +6
       B:+3 鳴き +3 → +6
       C:+3 +3 鳴き → +6
       D:+3 +3 +3 → +9
     自分が鳴かないということを考えると、自分以外の他家が1人より2人、2人より3人鳴いた方が自分に有利になると考え勝ちであるが、それは認識が違い、自分以外の他家が何人鳴こうと、自分にとっての有利になる牌は1回の鳴きで 6枚である。
     当然、他家1人が2回副露すれば、その分6枚ずつ、見えている牌は増えることになる。
       A:鳴き 鳴き
       B:+3 +3 → +6
       C:+3 +3 → +6
       D:+3 +3 → +6
     3回では、さらに+2ずつである。
       A:鳴き 鳴き 鳴き
       B:+3 +3 +3 → +9
       C:+3 +3 +3 → +9
       D:+3 +3 +3 → +9

     副露して頂き、貴重な情報を提供して頂く側からすると、明順(チー)よりも明刻(ポン)の方が嬉しいし、明刻においては中寄りの中張牌ほど嬉しい。明順でも同様である。また、遅い巡よりも早い巡に副露してくれた方が嬉しい。
     中寄りの中張牌のポン、例えば四萬を早い巡に他家がポンしたとしたら、その周辺に絡む搭子を崩すか伸ばすか判断できるし、役作りに踏み切ったり諦めたりできるし、さらに、四萬をポンした人の役読み・待ち読みに極めて有効だし、そしてまたさらに、鳴いた人以外の待ち読みにもまた有効なのである。
     逆の立場で考えれば、いかなる副露も、情報戦において不利である。ましてや、序盤で中張牌をポンすることは、大変に愚かな行為である。
     字牌の明刻ならそれほど情報価値はないのかというと、そうでもない。Aさんは發の対子を持っていて、發が1枚出た時に鳴かずにいた。Bさんから立直がかかった。Cさんが發をつかんだ。Cさんは場に發が1枚出ているものの安牌とは捉えづらい。もしAさんが發を1鳴き(1枚めで鳴くこと)していたら、Cさんは安心して發を切ることができたのだ。Aさんにとってもそのデメリットは計り知れない。
     麻雀は、自分が和がるか他家が和がるか、だけの単純なゲームではない。他家の和了をいかに妨害するか、他家に安全/危険を察知させる情報をいかに出さないようにするか、ということを競うゲームでもある。

     槓に至っては、その情報量は明刻を遥かに上回る。中張牌においては完全壁を晒すことになるのである。明槓も愚かであるが、情報公開面では、暗槓もまた実に暗槓する人にとって不利益なのである。明刻の場合、上記例の通り+ 3の情報を与えることになり、明槓の場合は+4、暗槓の場合は+4の情報を与えることになる。
     槓については、槓理論(2−07副露判断基準)で詳述する。

    ●自分だけが見えている牌に関する考え方

     「見えている牌」を総合して、他家牌構成を読むことが牌構成読みの第一歩ではある。
     しかし、「見えている牌」のすべての情報は、均一な情報ではない。そこには情報の格差がある。
     どういうことかというと、「自分だけが見えている牌」、つまり自分の手持ち牌で、副露していない牌と、他家全員に見えている牌、との違いである。他家に見えない自分の手持ち牌と、他家が見えている牌の情報の格差について考える。
     話を簡単にするために極論する。場に4枚の二索が見えていたとする。この時、一索は壁の外にあり、両面ノーチャンスであることが確約される。このことは卓を囲む4人が共通に知っていること、になる。しかし、同じ4枚見えでも、場に見えているのは2枚で、残りの2枚は自分の手持ち牌だったとする。この時、自分にとっては二索は4枚見えであるが、自分以外の3人の他家は、場に2枚しか見えていないことになる。この時、一索や三索などの周辺牌に対する考え方に違いが出てくる。例えば、自分が思うほどに他家は一索を安全であると思わない、というような差である。
     これを逆の立場で考えると、自分は場にある二索2枚しか見えない。誰かが二索を対子で持っていたとする。立直がかかった時の対応方法などで、(話を単純にするが)無筋の一索を一発リスクがあるのにノータイムで切っているのを見たりしたら、「その人が二索2枚持ちではないか? または三索暗刻か?」と読むのである。
     また、具体的で単純な話であるが、二索4枚と五索4枚が場に見えていたとする。この時、二五索で待つ人はいない。しかし、自分からは8枚見えていても、自分の手持ち牌に4枚(暗刻と1枚でも、対子と対子でも、未槓子でも)あったとしたら、他家の行動パターンは大きく異なってくる。聴牌時の空聴(カラテン)は当然避けるし、向聴数が多い場合においても搭子構成を変えてくるのが当然なのである。事実、もし、二索4枚と五索4枚が場に見えていたら、三索と四索は多く切り出される筈であるし、もし出て来ないのなら、暗刻使い(少なくとも対子持ち)と見るべきである。しかし、8枚のうち4枚が自分だけに見えているとしたならば、これは大変に貴重な情報である。ポンやましてや槓をしてしまうことの愚かさは推して図るべきである。さらに、ましてや筋でポンや槓をしてしまうなどは、バカを通り越した愚かさである。
     待ち読みの理論は、「自分がいかにして読むか」の理論であると同時に、裏返して「他家にいかにして読ませないか」の理論にも通じるのである。
     序盤に、中張牌、しかも中寄りをポンしてしまうのは、タコなのである。ちょと関係ない話であるが、このことを突き詰めると、対々和は情報露呈の上で最悪の役である。もっと言えば、断幺九+対々和、が最悪な役の組合せ、さらに筋で鳴くこと、である。中張牌で対子が3つ、暗刻が1つあったら、七対子でも狙う方が100倍賢い打ち方である。

    ●牌別危険度の総合論

     立直した人の安牌だけを考慮して捨て牌選択し、立直者以外に放銃してしまう、ということがある。これは不注意であり、立直者のみが聴牌状態とは限らない。副露している人でも、門前非立直の人でも聴牌しているかもしれないのである。
     しかし、人間の能力とはそれほど高いものではなく、なかなか相手3人全員をケアして捨て牌選択はできず、立直によって聴牌が確定している人、または、副露して特に染め手やドラポンなどで高得点が見えている人、に対して重点的にケアをするものである。

     34種類の牌のそれぞれには34段階の危険度があるのだが、それは他家3人のうち、誰に対するものかよって当然異なる。三筒は下家には危ない、対面はまあまあ大丈夫、上家には絶対安牌(現物)、というようなことである。
     つまり、34種類の牌は、それぞれ、他家1人1人に対して危険度が異なるのであるが、自分が切る牌は1つであり、ある人用の安牌だから、という理屈は当然通用しないのである。
     ここで、危険度の総合論という概念が出てくる。他家3人に対しての危険度を総合評価して、初めて牌別の危険度、となるのである。
     この総合の仕方は、単なる人別危険度の足し算にならない。なぜかと言うと、絶対に放銃すべきでない相手と、まあまあ放銃してもいい相手、など点差状況や親・子、相手の役読みなどによって差が生じるから、である。
     オーラス、自分は北家で2位、上家が1人浮きのトップ、下家がラス親でビリ。2位の自分はトップ差17000点あったとする。この時、下家のラス親は、白を鳴いて、数牌を2つチー、ドラもない、白のみ1500点が確定していたとする。このような場況では、ラス親に放銃しても、いいのである。17000点のトップ差が、18500点に広がっても、戦略上の変化はないのである。「満貫直撃・跳満自摸で届かない、跳満直撃か倍満自摸か三倍満以上」であることに変わりはないから、である。
     わざと振り込めばよい、差し込むべき、とは言わないが、無理をして下家のラス親の危険牌を抑え込むことはない。
     三筒は下家には危ない、対面はまあまあ大丈夫、上家には絶対安牌(現物)、でありこれが定量化できていたとして、対人別の放銃回避比率(どれだけこの人に放銃したくないか)を掛け合わせて加算することにより、牌別危険度のトータル値を算出する。

    ●実践的危険度相対比較

     34種類の牌のそれぞれに34段階の危険度を付けられれば最もよい、と書いたが、対戦中にそこまで配慮するのは人間の能力ではほぼ不可能である。
     そこで、実践可能なのは、自分の持ち牌の中での、危険度相対比較である。自分の手持ち牌の中に、対子が1つあれば自摸状態での14牌は13種類、対子が2つあれば12種類、ということになる。ベタオリであれば、この10数種類すべてを相対比較する。
     ベタオリでなく、回し打ちする意図があれば、この10数種類を全部候補に上げるのではなく、一般には、面子構成していないもの、浮き牌を候補に上げ、次に対子(雀頭)・搭子を候補に上げ、最後にでき面子のうち、一旦崩しても再構成可能そうなものを上げる。
     「でき面子のうち、一旦崩しても再構成可能そうなもの」とは、例えば、一二三四五六萬、という2面子で、一萬が安牌ならば、とりあえずそれを切っても、一四七萬のどれかを引き直せば、面子を再構成できるというようなものである。この2面子のように数牌が連続している場合には再構成がやりやすい。

    ●「読み」の種類

     「読み」は一般に、他家の和了牌が何かを読む、という意味で使われていることが多いが、それ以外の読みもあることを留意したい。「読み」とは、他家の待ちを読むことだけではない。では、他家の待ちを読む以外に何を読むのか?

    <他家に対する読み>
     ・配牌がいいか悪いかを読む。
     ・有効牌が入ったかどうかを読む。
     ・捨て牌選択に悩んでいるかを読む。
     ・聴牌したかを読む。
     ・立直するかしないかを読む。
     ・副露すべきかを悩んでいるかを読む。
     ・和了すべきかを悩んでいるかを読む。
     ・降りているか突っ張っているかを読む。
     ・牌構成を読む。
     ・手役を読む。
     ・待ちを読む。
     ・将来の捨て牌を読む。

    <自家に対する読み>
     ・自分が近い将来と遠い将来、何を自摸るのか(山読み)。
     ・自分が近い将来と遠い将来、何を切るのか。

    <場に対する読み>
     ・流局しそうか。(流局には5種類ある)
     ・立直棒が増えそうか。
     ・槓ドラが増えそうか。
     ・特定牌の山残率。
     ・裏ドラの類推。
     ・牌温読み(王牌に残る牌の読み)。

     「読み」は、待ちを読むこととイコールではない。他家に関する読みにおいては、和了牌が何かということよりも、聴牌しているのか、大きい手を狙っているか(聴牌しているかということではなく大物手を狙った手作りを進行中であるかどうかということ)ということの方が、実は重要な情報であったりする。
     極端な例を出すと、他家3人が明らかに国士無双を狙った捨て牌をしていたとする。「他家3人は国士無双を狙っているな」というのが読みである。これは和了牌を読むものではない。そして、自分はその読んだ情報から、自分の手を変えることができるのである。和了を目指すのならば、幺九牌の対子などは早い内に切り落としていかなければならない、あるいは、幺九牌の対子・暗刻は絶対に切らないと決める、などという対処行動に結びつくのである。

     他家の1000点の聴牌に対して一所懸命努力して振り込みを避け、自分の和了を逃すことよりも、もっと有効な打ち方がある筈である。
     振り込まないことがベストであると思っている人も多いが、ダントツのラス親が子の1000点に振り込むことが勝利へのベストプラクティスであることもあるのだ。差込については後述する。

    ●攻めと守りの判断(攻守判断)

     攻めるか守るかの判断がうまくできていない人は多い。それは基準がないからである。
     例えば他家に立直をかけられた場合、攻めるべきか守るべきか、つまり、突っ張るか降りるかの二値の選択肢しか持ち合わせていない人がいる。まあ、しかし多くの雀士は「自分は状況を鑑みてどの程度突っ張るのか降りるのかを決めている」と答えるであろう。ではその判断の基準と行動の基準は何なのかを答えよ、と言われて、答えられる人は多くはないだろうと想像する。
     これこそが、定量化が必要なことであり、曖昧で定性的な判断(オカルトなどは論外)によって、攻守の判断をしている人が、定量的な判断をしている人に勝てる訳がない。
     では、どのように攻めるか守るかの定量的な判断をするのか、について述べる。
     元となる情報は、以下のものである。
       ・4人全員の点数。
       ・何場の何局の何本場か。
       ・供託立直棒数。
       ・親か子か。
       ・見えている牌すべて。
       ・ドラの所在。
       ・自家の和了期待点。
       ・他家への放銃期待点。
       ・自家の持ち牌のそれぞれの放銃危険率。
       ・他家それぞれの雀力、特徴。

     先にこう書いた。『麻雀は可能性を読む競技である。「こちらの方がこれだけ(定量的に)和了可能性が高い」「こちらの方がこれだけ(定量的に)危険度が高い」と正しく読めた者が勝つ。』
     これを『攻めと守りの判断』という観点から書き直すと、『和了期待点と放銃期待点の均衡点の正確な判断ができた者が勝つ』ということになる。
     具体的に書くと、例えば三萬を切ったら、平和+三色同順の聴牌である。和了点は3900点。しかし三萬は対面に危険でドラも見えていない、とする。この場合に三萬を切るのか、他の牌を切るのか、の判断基準の話である。三萬を切った場合の和了期待点は、待ち牌の数と待ち牌の栄和可能な確率、自摸和可能な確率、それらをそれぞれの和了点を元に計算して、和了期待点を求める。そして、三萬を切った場合の放銃期待点は、見えている牌や待ち読みから可能な限りの他家和了パターンを描き(ドラ入りもあればドラなしもあり、できあいで三色同順ができているケースもあれば、ノー聴のケースもあり)、それらのすべての確率とそれぞれの和了点を掛け合わせて放銃期待点を計算する。もし、和了期待点が100点で、放銃期待点が90点であったと計算できたとする。ここまでが計算の技術であり、ここから判断基準である。
     一般には、和了期待点の方が放銃期待点より高いならば、勝負(三萬切り)、なのである。それはすべての確率を織り込んだ上であるのだから、ある数回の結果論から演繹できることではない。
     では、和了期待点の方が放銃期待点より高ければ、常に三萬を切るべきなのか? という論題を考える。
     点差がない局(点差が全くないもしくは殆どない場況)においては、和了期待点の方が放銃期待点より高ければ勝負に出る、和了期待点の方が放銃期待点より低ければ降りる、ということが、論理的・客観的判断となる。
     しかし、常に場況が絡む。つまり、点棒状況、点差状況や、何場の何局の何本場か、親か子か、などということである。
     例えば、ダントツだから無理に勝負に行く必然はない、ビリだから敢えて勝負、親だから強気、という判断である。
     これらをすべて勘案した上で総合的に判断を下すのが麻雀であり、その判断の優れた人が麻雀に勝つ人である。

    現物と絶対安牌と共通安牌
     現物[げんぶつ]とは、特定他家が切った牌+立直をかけた場合には立直後に全員が切った牌+非山越しの捨て牌 のすべてである。
     麻雀には振聴[ふりてん]ルールがあり、自分が切った牌で、栄和することはできない。また、立直後は、見逃した後に栄和することはできない。さらに、立直をかけていなくても、見逃し後、山越しせずに栄和することはできない。
     この振聴ルールから読みとれるすべての牌が、特定他家に対する現物となる。現物を切れば、その特定他家に放銃する可能性はゼロである。

     絶対安牌とは、見えている牌による、壁外や、表筋などで、完全に和了できない牌である。例えば七萬が4枚、八萬が3枚見えている状態では八萬で和了することは絶対できない。特定他家が六萬を切っていて九萬が3枚、西が4枚見えている状態では、九萬で和了することはできない(西が4枚見えていることで国士無双の可能性がゼロになる)。
     絶対安牌とは、現物以外で、特定他家が和了不可能な牌のことを言う。

     共通安牌とは、他家3人共通に放銃危険度ゼロの牌である。先ほどの、「七萬が4枚、八萬が3枚見えている状態での八萬」は共通安牌である。また、もっと判りやすい例をあげると、上家が直前に捨てた牌は共通安牌、である。

     国際共通安全牌と言う言葉もある。これは4人の誰もが栄和不可能な牌のことである。
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