ひいいの麻雀研究  ひいいの麻雀研究

 エリカエッセイ集

 エリカさんが当HPの掲示板に連載で書いたエッセイをここにまとめます。
 

    エリカエッセイ集2 歌舞伎町番外地

     エリカ(旧HN:エリカ18、エリカ19、7maybe、現HN:和泉エリカ)さんが、当HPの掲示板に連載で書いているエッセイを、エリカさんの快諾を得て、ここにまとめて掲載します。
     英国での短期留学から帰国後、歌舞伎町においてリアル麻雀を打ったことを中心としたエッセイとなっており、エリカエッセイ集1「2002年を振り返って」の続編になっています。

     文章は、私ひいいが、適宜改行を入れたり、句読点を直したり、牌画化したり、一部誤字訂正しました。


     
    2757   歌舞伎町番外地 ☆序章☆
    2003/12/08 05:28
      泣きながら生きてきたわ 想いだせばいつも私
    ここの町は泥沼よ    私はもがく小鳩
    世の中に出ておゆきと  死んだママが言ってたわ
    そうよけして負けないわ 私は負けはしない
                         朱里エイコ 白い小鳩

     
    ネット麻雀、J-game、2003年1月 時には48時間、時には一食も摂らずに打ち狂い続け、1112戦、トップ301、2着470 3着101 4着63 引き分け20 バグ157 勝率2割8分 1055pt獲得 月刊トップにきらめいた時、あたしは、もーぱいさん、しゅしゅあにぃ、ひいいさん、まさすぅさん、hayukuさん、でんこちゃん、ミ−コさん、kishibojinさん、雀帝さん、あらまぁさん、あるみかんさん、nabaさんなど歴戦のつわものが歩んできた道、現実の雀狂たちと向き合うリアルに足を踏み入れることを決意した。
     既に12月下旬から麻雀打ちで生計を立てているお兄ちゃんからのプレゼント、木箱に入った竹の牌に触れながら、盲牌と5-7-5の山積み、一色牌の待ち読み、符計算などの猛練習は続けていた。手積み稽古の必要性は仮に停電になった場合、との備え。
     2月1日、朝方、仕事から帰ってきたお兄ちゃんに宣言した。
    「明日からリアルで打つよ」
    「どのエリアだ?」
    「もち、歌舞伎町!」
    「あてはあるのか?」
    「いきあたりばったり」
    「レートは?」
    「ピンかな?」
    「ルールは?」
    「かんさき、裏無し!」
    「あはは 今時あるのか?」
    「そうなの?」
    「さぁ、まぁ、そのレートじゃ、何で打ってもたいして変わりはしねぇか。ウマ1、2、ドボン、やきとり、裏チップ1000が妥当だろう」とお兄ちゃんは名刺入れから一枚の名刺を取り出し、あたしに渡した。歌舞伎町Σ荘と刷られている。
    「ここから、はじめな。雀マスもいい人だ。オレの妹といえばいい」
    「いいんだ?」
    「どうせ、いずれはばれるだろう。オレたちのような気を持ったやからは、ざらにはいねぇよ」
    「きゃっは、わかった」
    「軍資金はあるのか?」
    「10万! これがなくなったら、やめちゃう」
    「あはは まぁ、トラブったら、オレに電話しろ。片はつけてやる」
    「いいよ。お兄ちゃんの世話にはならない。あたしだって、渋谷じゃ、昔、顔だったんだ。新宿に河岸を変えるだけだもの、こわいものはないよ」

     あたしは、このとき、ばかやろう!と言いかけたお兄ちゃんがその言葉を呑み込んだのを察した。そして、お兄ちゃんは笑顔を崩さずに何冊かのノートを手渡した。表紙には、雀牌覚え書、と記されている。
    「オレがおまえの年の頃、対戦した相手の和了形の手順だ。勝った時は覚えちゃいねぇが、負けを喫した時は必ず記憶した。なんらかの足しにはなるだろう。目を通しておけ」
    「わかった。日記みたいなものね、きゃっは」
    「エリカ、ひとつだけ約束しろ。相手がサマを使ったからといって、決して、おまえは使うんじゃねぇ。21世紀の手本になるような生き様を築かなきゃならねぇのが、おまえの役目だ。目には目をの時代はもう古いんだよ」
    「うんうん」
    「おまえのことだ、全自動であろうとその隙を突くことぐらい、たやすいだろうが、それじゃ昔の雀ゴロと変わりばえしねぇ、人の恥には上から叩けってことだ」
    「わかった、約束する」
    「しつこいようだが、歌舞伎町はゴミためだ。ゴミに染まって犬の餌になっちまったら、打つ資格はねぇってことよ」

     部屋に戻り、ズシリと重い雀牌覚え書をひも解いた。そこには、びっしりと細かい字で数百の対戦表が書き込まれていた。その日から、まるまる3日間かけて、それを読破した。読まされたといってもいいかもしれない。今までのどの麻雀戦術書よりも読み応えがあったから。汗なのか涙なのか、にじんだ箇所は推測した。ここには、まちがいなく、お兄ちゃんの魂の叫び、知恵の集積、時間の結晶、ありのままの姿が書き綴られていた。今のお兄ちゃんと決して切り離せない嵐のような過去。あたしは、何度も何度も震えながら、目に頭に1戦1戦を焼き付けていった。 
     全く知らなかったことを幾つか知った。そのひとつに、お兄ちゃんの記憶力のすごさ。ノートに記したのが対戦後すぐだったとしても、自分の手牌から河、相手の和了形、そして驚くべきことに相手三人の河をも覚えていたこと。もちろん、幾つかの覚え違いはあるにしても、その対戦表を書き残せる能力にはただ、驚嘆してしまった。そこから、明らかになったことは捨て牌は手牌の鏡であることをまざまざと再認識させられる、どんな強者もフリテンロンは不可能だから、必ず手役の手がかりはあること。ひとつひとつの対戦表にはお兄ちゃんのコメントが付いている。
     ハイリスクハイリターンの仕掛けどころ、いかなる劣勢であろうとはねかえすすべを知る者、終盤の攻防戦を制する、、などなど。
     ひとりの打ち手の手順に目を見張るものがあった。名前はH。のち、Hことハセさんと打ち合うことになろうとは夢にも思わなかったけれど、、。例えばこの配牌。
      ドラ:
     南場3局、風は西。持ち点14000。トップのお兄ちゃんとは33000点差。ここに2巡後、1そうをつもると東を切って、聴牌。一通ドラ1。しかし、ここから、ハセさんは劇画のような恐るべき手作りを仕掛ける。次のつも9まん、打2そう。続いて9そうをつも、打1そう。そして、つも1まん、打9そう。つも切りが続き、お兄ちゃんが、ここで
     ではり、だま。ハセさん、12、13巡と続いて1まんをつもり、14巡目に8まんをつもり、
     、789の三面ではる。9まんが出れば九蓮宝燈の役満だ。しかし、15巡目に3まんをつもり、万事休すかと思いきや、2まんを切る。お兄ちゃんのコメント、恐るべしH。3面を捨て、オレの待ちを読み切ったなり。お兄ちゃん、あたり牌7まんをつも切って、逆転される。今のあたしなら、何も考えずに九蓮目指して、3まん切りだろう。3面待ちをぺんちゃんに切り変える術はない。ところが、どうだ。日々、修練を積む打ち手は、いともたやすく相手の手牌を看破し、放銃牌を押さえ、和了への最先端の道を切り開いていく。そこには、未熟な思考回路なぞかけらもないのだろう。あやふやな迷いもない。あるのは、確信的な牌の読み。決して、自分の手に溺れず、相手中心に手作りを進めていくことがあたしの今後の大きな課題であることにはまちがいない、それが、金銭のからむリアル麻雀の真の姿、そう強く悟った。

     前回の牌王位戦でもこういうケースがあった。第2戦東1局、デルガドさんは5巡目にテンパり、3-6そうでリーチをかけるが、これは全くナンセンスだ。ドラの9ぴんも手牌に一枚もない。第1戦のまくりトップの余勢を駆って、一見、勝負に出ているが、ここは、だまでいい。だまでなければならないと言い切ってもいい。子の平和のみの手にリーチが加わって、仮に裏が一枚乗ったとしても3900にしかならない。のち、あたしは、リアルで毎月、250戦、約1300戦、闘ったが、このてのリーチをかける方はまちがいなく負け組だった。親に追っかけられ、放銃する場面を何度も目撃した。幸運にも司さんが打牌選択を誤り、クリックし損ねたらしい、流局で終わったが、それがなければ、親満に振っていた可能性が高い。数千と対局を重ねていくと、自然に思考回路へと刻まれていくことのひとつに、自分の配牌が整っている時は必ず、もう一人、聴牌間近の方が存在するということ。勝負時と親以外は、平和リーチは、ありえないとあたしは確信している。ただ、これも、もう一歩、外から見ると平和のみでも、相手の手作りを止めるディフェンスとしての可能性も否定はできないが。
     今回の21期牌王位戦について、詳しく言及してみよう。あたしが、一番驚いた展開は第3戦の東3局。親はカブトエビさん。ドラは1そう。ここで南の司さんは、
     の配牌からドラの1そうをつも切っている。これは、のち、トイトイ系の達人、クラブのママ、らん子さんに匹敵する恐ろしい打法だ。この瞬間、考えられることはタンピン系の早技か、まんず、ぴんずの一色手、もしくは国士無双へのドラ雀頭からの一打。この3点が脳裏によぎるが、司さんはここから三暗刻を和了する。手順はこうだ。1そう切り。1まんつもって、9ぴん切り。4ぴんつも切り。東つも切り。3そうつも、2ぴん切り。4そうつも、3そう切り。6まん、9ぴんつも切り。6そうつも3まん切り。対面のデルガドさんの1ぴんをポン、1まん切り。8まんつも切り。8そうつも、6そう切り。発つも、6ぴん切り。ここで、
      の満貫聴牌。7まん、5ぴん、3まん、2そうをつも切って、しゅしゅあにぃの7ぴんでロン。殺気打法しゅしゅあにぃをもってしても、全く思考外であったにちがいない。その結果、初牌の7ぴんを切り、和了される。
     あたしは、何十戦と司さんと打ち合っている。12Rでの半荘戦の会にもつきあってもらった。通算成績はあたしが優勢だが、ここぞというときに司さんは恐るべき待ちや和了を繰り返した。3人ドボン同様の10万点を越える勝利を収めている。この一種独特のトイトイ系の思考を決してあなどってはいけない。凡百の打ち手、つまりタンピン系の自然流では、この亜流の空間を攻めた打法をなかなか理解しにくいばかりか、ツキという使ってはならない言葉を用いて対応しようとする。しかし、あたしも、らん子さんに出会って半信半疑だった打筋が見えるようになり、それ以来、ツイテイル、ツイテイナイといった言葉を決して用いていない。ツキなんてものはない。あるのは、技と読みと忍耐だけなのだ。あるレベルに達した打ち手が負け続けている時に、ツイテイナイと考える思考そのものが、もはや、麻雀の小さな殻の中に閉じ込められた姿であると断言したい。

     2001年9月11日、ツインタワーが自爆テロにあい、崩壊した。この世界を騒然とさせた衝撃的な事件に世間の多くはその10日前に起こった放火殺人事件を忘れてしまったように見えたが、あたしは、未だにしっかりと覚えている。あの日、9月1日未明、歌舞伎町一番街の雑居ビル3F麻雀ゲーム店付近から出火、44人の尊い生命を奪ったその隣のビルで、お兄ちゃんは1000点1万、差しウマ50の勝負に明け暮れ、消防車、救急車、警官、野次馬などでごった返す中、平然と打ち続けていたのだ。「黒煙からくすぶる異臭には閉口したぜ」と何事も無かったかのように朝方、帰宅した。あたしは仰天して、「44人も死んだんだよ。大変だったんだから!」と叫ぶと「死ぬ奴はいつでも死ぬ。簡単な物事の数理よ」と、全くあたしの心配など意に介しない。
     「逃げなきゃだめじゃん!強がりだけじゃ、いつかはやられる!」とあたしが涙ぐむと、「エリカ、歌舞伎町ってところは、毎日、誰かが死んでいる。それが、たまたま、44日間分、いっぺんにきただけだ。大したことじゃねぇよ。他人様の心配をしてるうちは、まだまだ青いってことだ」
     「他人のことじゃない!お兄ちゃんのことだ!」とあたしは、ありったけの声を振り絞った。お兄ちゃんはしばし、無言で、そして、あたしの頬を伝わる涙を指ですくい、ゆっくりと呟いた。
     「倒さなきゃならねぇくずがいた。くずにでかい顔されちゃ、オレは雀で生きていけねぇ、、。わるかったな、心配かけて、、。許せよな」
     「歌舞伎町なんて、大嫌い!」
     あたしは、しゃっくりを上げながら、えんえんと泣き続けた。
                     to be continued

    2846 歌舞伎町番外地 第1回『微明』
    2003/12/27 22:39
      縮めるには、まず張らねばならない
    弱めるには、まず強めねばならない
    廃するには、まず興さねばならない
    奪うには、まず与えねばならない これを微明という
                          老子

     歌舞伎町、わずか数百メートル四方の小さなエリアに、一日数万人が犇めき合う、東京一密度の濃い街。戦後、焼跡となったこの地に歌舞伎劇場を建設しようとしたが、実現に至らなかった。しかし、名前だけが残されたということらしい。
     のち、あたしの雀友になる、このあたりを仕切るS会の幹部兄さんが言うには「由来ってぇのは知らねぇが、ここが歌舞伎町でなけりゃ、歌舞伎に失礼じゃねぇか。芸達者じゃなきゃ、この街じゃしのげねぇ。てめぇもセイガクなら、ちぃとは学のある打ち方を覚えりゃいい」と、味のあるお言葉。
     そういえば、あたしも幼い頃、亡きおじさんに連れられて、月に一度、歌舞伎を鑑賞している。東海道四谷怪談、元禄忠臣蔵、南総里見八犬伝、白波五人男、義経千本桜、女殺油地獄、船弁慶など、思い出したらきりがないが、どの演目にも圧倒されたことは鮮明に記憶している。とりわけ、義経千本桜の静香御前、南総里見八犬伝の犬塚信乃の女形に度胆を抜かれた。というのも、芝居を演じる時、映画やテレビの役者さんと異なって、顔そのものには、全く表情がないのだ。
     笑う時も泣く時も袖や袂で顔を隠し、時には髪を用いて、時にはしなを作り、演じ切る独特の世界。錯乱状態では、髪を解き、体全体でそのせつなさや、苦しみや痛みを表現する。
     無表情な女形の芝居、このことは、この歌舞伎町に暗躍する人たちにも共通している。多くが不法滞在者、無法者である彼らはさまざまな職種に分かれ、例えば、クスリの売人、893屋さん、風俗店の呼び込み、キャバクラのホステス、ホスト、パチプロ、カジノバーの面々、詐欺師など、どの方々も顔そのものは、いたって無表情であり、死化粧を施している生身の肉体がそれぞれの小宇宙を築いている。
     彼らは、よほどのことがない限り、内面からあふれ出る喜びや悲しみを表情には出さない。しかし、時間をかけて接していくと、彼らは、眉間の隙間から唇から、ぎらつく目から激しさ、殺気、憎悪を体全体からにじませ、快楽の対価として金銭をむさぼる恐ろしい集団であることをまざまざと表した。
     あたしは、数ヶ月間、あるときは雀荘に宿し、あるときはビルの屋上のプレハブに睡を摂り、あるときは一食も取らずに三日三晩打ち続け、あるときは賭博容疑で2日間留置され、あるときは悔し涙に気を失い路上に倒れ、あるときは殺意を抱き、ここが不夜城なんて生易しい演目では語れない、伝わらないことを身をもって知った。
     ここには禁じ手はない。ここには甘い蜜も苦い汁もない。ここには夜どころか昼もない。ここには希望も絶望もない。ここにははじまりもなければ終わりもない。ここには罪悪感も魂の救済もない。
     ここにあるのは、人の感情にも生死にも、その偽りにもその真実にも無表情で時間の波に揺られていく街がただ、うっすらと見え隠れするだけだ。つまり、歌舞伎町、街全体が無数の人間共の核に秘められたそれぞれの存在理由を淡々と披露する巨大な舞台であるといえよう。そして、あたしはこの街の末路を既に目撃したといっても過言ではない。

     2003年2月5日、午後の講義から戻ってきたあたしは、束ねていた髪を解き、ぼさぼさ髪、ノーメークで黒のジーンズ、シープスキンのジャケを着て地下鉄に乗った。中野坂上から新宿までのわずか数分の行程の中、ここ1年余りに起こった日々が走馬灯のように駆け巡った。
     あれだけ毛嫌いしていた猥雑な街、歌舞伎町に今、足を運んでいるあたし。それに加え、ギャンブルそのものにも夢中になれる魅力なぞ微塵も感じなかったあたし。それがどうだ。財布に10万円を入れ、全く正反対の生きざまに向かおうとしている。大袈裟かもしれないが、天地がひっくり返るような心境。しかし、ひとつ言えることは、今まで愛せなかった人を愛せるようになった、そんな単純なことではないことは確かだ。なぜなら、戦いの場として、あたしはこの巨大都市、東京から歌舞伎町を自らの意志で選択したから。
     J大学に合格するまでは、学問の基礎作りに没頭できた。しかし、入学すると、そこには、あたしを陶酔させるような学もスポーツも恋さえもなかった。広大な砂漠の上にぽつんとたたずんでいるような空虚さしか見当たらなかった。バイク遊びが嵩じて、ツーリングチームの門も叩いたが、それもどこかありきたりな人と人の接触が目につくだけで、激しく燃焼させる気は生じなかった。
     2002年8月下旬、お母さんのPCに初めて触れた。電気仕掛けの箱の前に座ることが性に合わなかったのか、1週間でその操作にも飽きがきた。そんなとき、7ブリッジのネットゲームを見つけ、エリカ18の名で遊んでみた。ところが、プレーヤーたちのレベルの低さに驚き、何も得るものもないまま、そこを離れた。他のカードコーナーも覗いてみたが、どこかあたしの肌に合わない。
     と、そんなとき、たまたま、お兄ちゃんが職としている麻雀コーナーに目がいった。麻雀かぁ、、。おもしろいのかな? ほんの軽い好奇心で、麻雀サイトをサーフィンし、いつのまにか本まで手に入れ、ルールを覚え出したあたしがいた。
     何か、体の芯からぞくぞくするような気が涌き立った。牌に触れたことがなかったあたしが、気まぐれのゲーム感覚で始めた遊びがこれほど難解でかつそれを克服する喜びに満ちていることに驚き、信じられないエモーショナルな意識革命が日々を覆い尽くし、それは開けてはならぬパンドラの箱に手をかけたような奇跡につつまれていった。
     あたしは昔から脳内に誰も入れない隠れ家を作り、そこに、とっておきの光や闇、道や空をしまいこんでいた。どんなに心を許す方が現れても、その隠れ家の存在だけは決して教えなかった。そこから、埃の被った7ブリッジを取り出し、ピカピカに磨かれた牌の山と交換した。生きるべき運命をまのあたりにした瞬間だった。

     新宿駅に着くと、人のざわめきにあらためて目を白黒させられた。エネルギー過剰の街、体力、精神力が充実していないとたちまち呑み込まれてしまう、そんな得体の知れない気が支配している街。あたしは全身からその気と対峙するように、一歩一歩歌舞伎町へと足をすすめた。靖国通りを渡る前に大きく深呼吸し、歌舞伎町の街を見つめた。
     畏怖の念と同時に親しみやすさも感じる魔性の街、あたしにとっては戦場となる地がもう、そこにある。頭で考える前に行動しなきゃ! と、あたしは一軒のパチスロ屋を見つけ、そこに滑り込んだ。というのも、あたしは、はなっからお兄ちゃんに薦められた雀荘には行く気がなかった。あたし自身の嗅覚であたしの道を極めなければ、あたし流は見つからない、そう考えていたからだ。
     道は誰かに教わるものではない。ガイドブック片手に旅行する人を見かける度に、非常な嫌悪感を覚えていたし、ネットであらかじめ情報を収集するのもあたし流ではないと。
     新しい未来、新しい思考回路を獲得するにはそれなりのリスクを背負わなければならない。今まで築いてきたあたしの人生観から多くのものを失わなければならない、そうでなければ、凡百の麻雀打ちと同じ道を辿ってしまう。
     では、何故パチスロか?以前、お兄ちゃんから麻雀打ちの大半がひまつぶしでパチスロ屋に出入りしていることを小耳に挟み、それなら、そこで情報をかき集め、あたしの判断で最初の雀荘を決めればいいと。しかし、パチスロ屋に入った途端、想像以上に病んだ臭いに動転し、あたしの体はこわばった。耳を聾するノイズ、人工的な名ばかりの光の洪水、そして何よりも目を疑ったのが台に向き合う半病人のような死んだまなざしの群れ。一体、これはなんだ? 一見、遊興に明け暮れる人々だが、ここは死体処理場のような魂の抜け殻が犇めき合っている。
     あたしは、愕然となって打ち手を探す以前に立ちすくんでしまったのだ。見当はずれだ、こんな所にあたしが求めている情報なぞない、そう思った瞬間、一人の若い男に目が向いた。いや、そのギラギラしたまなこに吸い寄せられたといってもいい。明らかに、他の面々とは異なるきらめきを放ち、孤高を極めている。のち、あたしの好敵手になる台湾生まれの新宿育ち、王星界との出会いが、資本娯楽主義の残骸、墓場のようなパチスロ屋だった。
     「雀荘探してるんだ。そこそこの打ち手が集まる店、御存知ですか?」と、あたしはいきなりその男に尋ねた。くわえ煙草のまま、男はちらりとあたしに目を向け、また、台との格闘に視線を戻した。
     「残念! ききがいがあると思って声かけたのに。だって、女は度胸、男は愛嬌でしょう?」と、あたしが粘ると男はあたしと目を合わさずに「ピンならM荘、リャンピンならW荘、ウ−ピンなら連れていってやる」と乾いた声で言った。
     「ウ−ピンならさ、ラスくらうと5枚くらいかな?」
     「ち! いくら度胸があっても、お嬢さんじゃちと、無理だろ? 一生が台無しになる」と男は 冷たい笑みを浮かべた。あたしは、カチンときた。しかし、どこの誰だかわからない男の挑発に乗るとひどい目にあうかもしれない、そう考え、「W荘はどこにあるの? おぼっちゃま相手に始めてみるよ」ときくと、「風林の裏の5階だ」と、そっけない。
     「風林、、わかった、ありがとうございました」と頭を下げると、「気をつけな。レートが低いからといって、雑魚ばかりじゃない」とほんの少し、あたたかみのある声が返ってきた。

     風林会館周辺には雀荘が多い。あたしは目を皿のようにしてうろうろとW荘を探した。その姿が田舎から出てきたおのぼりさんのように映ったのか、何人かの男たちが軟派してきた。あたしはそれらを振り切り、ようやくW荘に辿り着いた。扉を開けると、店内は思ったよりも 賑わっている。10卓ほどあるのか、どの卓も満席だ。照明も明るく、薄暗い雰囲気もない。ただ、あたしのような小娘は場違いなのか、訝し気な視線を浴びせられる。雀ボーイが近付いてきた。
    「お一人様ですか?」
    「はい」
    「この店には以前に?」
    「いいえ。初めてです」
    「では、こちらへどうぞ」と隅の空きテーブルでレートや裏チップのこと、基本ルールを説明された。
    「なしなしは、ないんですか?」
    「当店ではありありとなっておりますが、ただし、面子によってあらかじめお決めになれば問題はありません。あとですね、パオは大三元と大四喜に適用されます。3枚目、4枚目を鳴かせると、ツモの場合、責任払い、他者への放銃の場合、折半になります」
    「わかった」
    「多牌少牌、同巡の食い替えは、アガリ放棄が適用され、多牌は流局した場合、マンガン払いとなります。フリテンロン、同巡内でのロンなどもマンガン払いのノーゲームとなり、本場は加えられず、同じ親でやり直しです。1ゲームにつき、ひとり千円が当店への代金となります。半荘ごとのキャッシュ精算となりますが、これも、面子であらかじめトップ払いを決めることは問題ありません。他に何か質問はありますか?」
    「四暗刻単騎、国士13面は、W役満ですか?」
    「そうです。純正九蓮は5倍役満です。まだ、当店で和了された方はおられませんが、、。では、抜けが出た卓に御案内しますので、しばらくお待ち下さい」
    あたしは、店内を観察した。換気が悪いのか、打ち手が吸い過ぎるのか、煙草の煙が充満している。もう、それだけで、あたしの部屋とは大きく異なり、ネット麻雀のクリーンさがなんだか懐かしい。他にも、ざわつき感や体臭など、パチスロ屋ほどではないにしても、なかなか馴染めない。ただ、打ちおろされる牌の響きがいい。体の芯に心地よくこだまする。15分ほど、待っただろうか、ようやく一卓に案内された。3人とも、あたしに対してにこやかだ。
    「はじめまして、エリカです。初心者ですが、お願いします」
    「あはは。おもしろいねぇ。学生さんかい? 若い女性とは、珍しいねぇ」と、 一人のおじさんがにやけた。レートはリャンピン、ウマ10、20。やきとり10、ドボン10、裏チップ1000、赤5はないが、箱を食らうと2万弱の出費になる。席決めが終わり、あたしは起家となった。ここでびっくりしたのが、 サイコロは手に取って振るのではなく、ボタンを押すと回るのだ。チョンチョンと手にした配牌を見てさらに、びっくりした。
     、そして、ドラが9まんなのだ。あたしは、生唾をごくりと呑み込み、雀ボーイを呼んだ。喉が渇いたから、オレンジジュースを注文した。その間、全神経を集中させて思考回路を回転させていた。喉なんかちっとも渇いていなかったが、一考の余地ありと時間稼ぎしていたのだ。 ダブ東ホンラオホンイツトイトイドラ3、三倍満じゃん!と1ピンに手をかけた瞬間、あの戦慄が走った。え? どうするの? 一瞬、戸惑ったがあたしは、そうかぁ、そういうことねと、9万を切った。これが、初リアル半荘戦の第一打となった。
                        to be continued

    2918 歌舞伎町番外地 第2回『不文律』
    2004/01/12 22:30
      一、家の中での挨拶は正座して親指を隠して行う。
    一、外での挨拶は腰をくの字に落としてすること。
    一、挨拶の時、相手から目を絶対にそらせてはいけない。それは相手に隙を見せないためである。目を伏せて挨拶するのは親分か兄貴のみである。
    一、先輩に挨拶する時、又話をする時、ポケットに手を入れたり、腕を組んだり、見苦しい態度はやめること。
    一、何事も行動は敏速にすること。時間は厳守のこと。
                          新宿S会 若者の心得より

     数ヶ月間の歌舞伎町体験から多くのことを失い、多くのことを学んだが、とりわけ、明確にあたしの脳裏に刻まれたことのひとつに、ならず者同士にもそれを冒してはならない、暗黙の規律があるということだった。
     掟とは異なる目に見えない縛り、このことは、一般世界で例えると、他人に少しでも迷惑、不快を与える振る舞いを、たとえそれが法律に触れなくても行わないこととは若干、性質が違う。
     のたりのミヤさん、S会系列の後ろ楯で、処方箋の要する睡眠薬、ハルシオンを一日、何百錠とさばくクスリの売人は、あたしが和了した大車輪と接して以来、すっかり、あたしの雀友となり、麻雀を打ち終えると近くの居酒屋へといざなう仲。
      「おまえはよ、鬼櫻だよ。だってよ、一回、たてちんつもってるじゃねぇか。それをよ、ブッ壊して大車輪ったぁ、見事なもんだ。酔いもオレの愚かさも全部、覚めちまった。あぁじゃなきゃいけねぇ。麻雀は、ただ勝ちゃあいいと思ってるバカばかりだが、おまえはキ印よ。キ印じゃなきゃ、この街じゃ生きていけねぇ」
      この時、8巡目で親のあたしはピンズのたてちんをつもった。
      ここに3ピンでたてちん、たんやお、いーぺいこう、つもで親の倍満だったが、この日、3連敗していたあたしは軽いトップではなく、ぶっちぎりのトップを狙わなきゃと、この3ピンを叩き切った。場に1ピンも8ピンも一枚も出ていなかったのが第2の理由でもあり、目指すは一度も和了したことのない大車輪。
     そして、次のツモが8ピン。あたしは4ピンを切って、リーチをかけた。そして、一発で8ピンをつも、念願の大車輪を達成した。
       自摸: (ひいい挿入)
     せっかく、麻雀なる、この恐ろしい仕掛けだらけのゲームに身を染めた以上、四かんつを含めて、全ての役を和了するのがあたしのささやかな夢だから、それにただ邁進しただけなんだけれども、その場で目撃したミヤさんにとってはそれが、牌の宝石のように見えたのだろう。そのミヤさん、麻雀仲間からは全ツッパのミヤとも呼ばれているお方が、歌舞伎町数年間のキャリアの中で、色々と教えてくれた。そのひとつが、不文律。
      「結局よ、ポリ公もやくざもんと変わらねぇ生き物ってことよ。刃物沙汰にはうるせぇが、クスリ、ぼったくり程度じゃ、かすってもきやしねぇ、見て見ぬ振りだ。情報回しときゃあ、オレたちにとっちゃ同業者の用心棒みてぇなもんだ」
      「情報って?」
      「なんだ、たたき(強盗殺人)やった奴が逃げ込んできたら、ちくりゃあいい。年端もいかねぇ12、13のガキが香港あたりに飛ばされそうになったら、ちくりゃあいい。左利き(左翼ゲリラ)のコワオモテ(中心人物)のあじとがわかりゃあ、それもちくりゃあいい、そういうことよ」
      確かに、新宿界隈を取り締まる警察官もよほど悪質じゃない限り、ささいなことは見逃している。低レートの雀荘が決して手入れを受けないのもそのひとつだ。ただ、893屋さんの場合、盗み、レイプの類いやクスリを使用すると、その組織から追放されるから、警察なる役人よりもその生きている世界はより厳格かもしれない。その893屋さん同士でも多くの会派があるなか、そのなかで起こったことは内政不干渉なる不文律がある。
      「大体よ、このあたりはS会の縄張りだ。それなのによ、看板すら揚げてねぇ関西者がのさばってる。こいつも見て見ぬ振りの一芸だな」
      何もこのことは、歌舞伎町、街だけの問題ではない。麻雀にも歴然と不文律はある。例えば、対戦相手の出身地や年齢、職業などプライバシーに関することは尋ねてはいけない。上級者になればなるほど、その尋ねる隙を作らない。あたしは、生まれ持っての、人間に対しての好奇心からその隙を突こうと何度か試みてるが、最初のよろしく、最後の失礼の二言しか発しない達人たちに何人か出くわした。それら、達人たちに共通していることは、打っている最中の仕草や目線が常に一定しているということ。煙草もコンスタントに、目も泳がない、必要牌に対しての体の反応もない。とにかく、一半荘戦打つと、あたしは汗びっしょりになる。ものすごい緊張感に覆われ、喉がやたら、渇く。また、こういうときの牌の音は非常に不気味だ。はたから見れば、かっこいいかもしれないその音も、当事者としては、真綿で首を締め付けられるような息苦しさを高めるだけだった。のち、三日三晩の死闘であたしは、7kgやせることになる。
      第2に、和了した際、役も点数も自己申告制だ。何かの拍子で数え間違え、多く払い過ぎても、もらい損ねても、もう後戻りはできない。
      第3に、先づもやリーチをかけたからといって、裏を覗くとノーゲームになり、罰符を払わなければならない。
      第4に、口三味線の禁止。但し、自身の和了に関してはうるさくても、他者への牽制をかねた三味線は用いられている。例えば、9まんを切りたい時に、一人がまんずのほんいつっぽい。ここで、「まんそめと見せかけて、ピンソウのトイトイもありかな?」と三味線し、誰かが9まんを切るや通れば合わせ打ちする戦法。のち、三味線系の達人のしゃべりには、目を見張るものがあった。
      第5に、差しウマが入った場合、アガサン、アガラスが禁止となる。あたしが関わった場で一番大きかった30の場合、トップ争いから脱落し、トビスン間近でもアガサンを放棄し、静観せざるをえなかった。
      第6に、面子にウラメンが入った場合、見て見ぬ振りをすること。ウラメン側も特に大きな和了はしない、放銃もしない、淡々と客を装い、2、3着あたりに落ち着き、数合わせに徹する。但し、クロウトが卓にいた場合、打ち筋も一変して、マジ打ちしてくる。
      第7に、高レートの場合、1000点1000円のデカピン以上だと、上家の打牌に鳴きを入れるか入れないかで 戸惑うと、その牌では和了できない。つもって3秒、打牌に2秒、5秒打ちが基本。また、チーよりもポンが優先だが、チーよりもポンの発声が遅れた場合、チーが優先となり、ポン不可能となる。発声はマナーとしてはっきり、正確にと言われている。しかし、50代後半以上の年輩者に時々、ポンのことをポイと発する方がおられるが、黙認されている。
      第8に、仲間3人揃っての同卓もありえない。のち、コンビ打ちのカップルに出会うが、時間差で来店し、あたかも面識がないかのように装う姿には驚かされた。
      第9に、誤って手牌の一部を倒した場合、見せ牌となった牌では和了できない。あたしの場合、たった一度だけ、しかし、痛恨のしくじりで、袖にひっかけ、そのため大三元字一色を逃し、苦汁を舐めた。白一鳴き6巡目、発発発、中中中、南南南、待ちが東。この東をひっかけてしまった。それ以来、どんなに寒くても打つときは長袖は着用していない。
      最後に、たまたま、トリプル役満など大きな役に振り込み、持ち合わせが尽きた時、身分証を雀マスに預け、お金を借りるか取りに行く方法は許されている。意外と寛大だが、しかし、そのまま払わなかった場合、後日、ひどい目に遭う。あたしが目撃したケースでは、両手首を折られた打ち手がいた。
     あたしは、せいぜい飲めてビール2杯。その間にのたりのミヤさんは1升近く飲み干している。酒豪でもあるミヤさん、のたりとはあたしが付けたあだ名。ほんと、ちばてつやの相撲漫画、のたり松太郎にそっくりな風貌だから。それに、あたしのような勝ち気な女の子に根っからやさしい。下心もなく綺麗な心を持っている。しかし、その純粋なやさしさが災いして、のち、大事件に巻きこまれることになるが、、。
      「北家はよ、親の捨て牌を出来る限り、ポンしない、親の聴牌速度をはやめる結果になりやすいっていうが、これは古いんだよな。いくら、鳴いたって4回までだ。それ以上はどうあがいたって、鳴けねぇ。手が狭くなっておたおたするのは、そいつだけだ。勝手にやらしとけばいい、誰もそんなことに気も使わねぇし、何も感じねぇよ。やー公だってよ、出入りの際には、とどめを刺さねぇのが不文律だった。それがよ、台湾やら、チョンコやらで、どうでもよくなっちまった。まぁ、時代はてめぇらで作っていきやぁいいってことよ。こればっかりは、誰にも止められねぇしな、、。オレはよ、このあたりでかれこれ、5年ばかり、打ってるが、エリカ、おまえのよ、麻雀には華がある。ズバ抜けた美しい華だ。そいつを枯らしちゃならねぇ。思い通りにブンブンいきやぁいい。固い奴らってぇのは、華がねぇ言い訳をしてるだけよ。華ってものは、生まれ持ったものよ。そいつだけは、いくら努力したって、咲かせることはできねぇしな。まっすぐ、やれや」
      「遠いところ? 誰も行ったことがないところしか興味ないもの」
      「ぐわははははは、、。また、打とうぜ」
      「わかった」

     。この初リアル初半荘戦の第1局の配牌から、ドラの9まんを切り、続いて、9ピンつも、打9まん、ここで、3人の顔色が一瞬変わった。そして、つも9そう、打東、そして、最速で1そうをつもり、あたしは、打東でリーチをかけた。おいおい、どうなってるんだ?  と、おじさんが顔を歪ませる。
     4巡後、これはあるかな? と1わんを対面のおじさんが切り、あたしは、初和了を役満で飾った。おまえ、プロか? との問いに、いいえ、正真正銘の初心者です。やったねと、あたしは、初勝利の味に酔いしれた。   to be continued

     エリカさんの河:
       ドラ: (ひいい挿入)

    2984 歌舞伎町番外地 第3回『彼方』
    2004/01/29 04:20
       深い幻覚体験は、大地や人間同士とうまくバランスを取りながら生きる、正常な人々の世界の可能性を提示してくれるだけではない。
     それはまた、高度な冒険、すなわちまったく思いがけないものーー近い次元に存在する生命と美に満ちあふれた異界ーーとの接触をも約束してくれる。それがどこにあるかは聞かないでほしい。というのも、現時点で答えられるのは、それはここでもなければあそこでもないということだけだからだ。
     われわれは精神の本質について無知であり、厳密には世界というものがどのようなものになるのか、また現実にどんなものなのかといった事柄に関しては無知であることを、いまだに認めないわけにはいかない。
     数千年以上にわたって、われわれは、こういった事柄を理解することを夢見てきた。だが、それは失敗に終わっている。
     もうひとつの可能性ーー完全な異界が存在する可能性ーーを思い出さない限り、われわれは失敗するのである。
                          テレンス マッケナ

     人は相容れない事象に出会うと、それを甘受するよりもむしろ排除しようとする。どんな世界であろうと、それぞれ個人にとっては、かけがえのない道が空が山が海が太陽がきらめき、10年かかって構築された世界は絶大な壁に守られ、他人がどう言おうとどう思われようと全く関知しないのが人間だ。言葉では、君の言うこともわかるがね、とかなど言っても、そうやすやすと理解を深めることには決してならない。いうなれば、異世界 との交流に関心があれば、時間をかけてその核を知ろうとするのが、 処世術と考えているのかもしれない。
     あたしは、歌舞伎町にあるおよそ100近い雀荘に通い、麻雀以前の麻雀、麻雀という名の道場、麻雀を隠れみのにした賭博、麻雀とは全く無縁の狂気に接しながら、拒むときには拒み、決して愛想笑いしない術を覚え、どんな暴力にも屈せず、あたしにとってマイナスとなる事象を切り捨てていった。しかし、迷うときもある。自我を正しくコントロールする日常が、あたしの向かっている、はるかかなたの、途方もない、巨きな未来へとつながるとは限らないからだ。
     つい先日、あたしは悩みに悩み、成人式に出席した。しなければならないと決断した。二十歳を越えれば、この国のシステムの中で義務が生じ、学生とはいえ、大人の仲間入りしたことには間違いないからだ。成人式自体は義務ではないが、権利が派生したことでそれを施行しなければならないと強く感じたのだ。
     国の援護を受けた東京都なる自治体が途方もない金額を用いて、開くセレモニーを無視するのは簡単だが、それではヤバイ、どこかへ逃げ込むようなものだと、あえてその空虚な儀式に参列することを選んだ。あたしだけだった。ぼろジーンズに、ぼろシャツ、ぼろジャケの風体は。
     前日、沖縄、伊東市で起こった壇上での暴力行為には賛同できないが、振袖や真新しいスーツを着て列席する連中に何らかの警告は与えなければならない、でなければ、この国に未来はない。
     人は着飾るため、美味しいものを食べるため、享楽に耽るため、快適に過ごすためだけに、日々生きているのではないということを、あたしは示したかった。今でも、どこかの遠い国では戦争や飢餓の中で、あたしたち日本人とは最もかけ離れた世界を押し付けられた人々が生き続けている。
     たかが、ぼろ格好しただけで、あたしの主張は響かないだろう。そんなことは重々理解しているが、一体、あの娘はどうして晴れがましい席にあんな格好をしてきたのか? その意識を持ってもらっただけでも、あたしは権利を施行した意義があったと切に思う。
     昨年、イギリスへ留学した際、パレスチナから来た同年齢の女学生と仲良くなった。物静かで他人への気の配り方はとても優しく、休憩時間には人生観を語り合った。
     ある日、彼女は、2年前に起こったツインタワー自爆テロに関して、否定も肯定もしない、ただ、パレスチナ人はアメリカ資本に支えられたイスラエルに毎日毎日殺害されている。それを踏まえれば、N.Y.で亡くなった6000人なぞ物の数にもならないと断言した。それほど多くのパレスチナ人がここ数十年間で大量に虐殺されていると。私の母も弟も叔父も叔母もタンクの砲撃によって既にこの世にはいないのだと。私は復讐のために留学してるといっても過言ではないかもしれないと涙を落とした。
     あたしは、愕然となった。考えもしなかった事象を突き付けられ、物事をある側面だけから見ていたあたしを恥じた。報復行為が正しいのか許されないことなのか、そういうことを考えるには両面から見据えないと思考回路が錆び付くだけだと。ドラッグの問題も然り。
     先日、アートガーファンクルが大麻所持で逮捕されたが、アメリカは州によって独自の法律を持ち、マリファナを認めている州もある。というのも、HIV、筋ジストロフィー患者らが失ったアピタイト(食欲)を取り戻す手段としてマリファナ摂食が有効であることが医学的に実証されたからだ。マリファナによって感化されたミュージシャンも多い。ビートルズ、ボブマーリー、ビヨーク、トムウエイツ、井上陽水など数を上げれば切りがないほど、聴覚を向上させる魔法の植物としてアーティストには重宝されている。現在、オランダ、ベルギー、スペイン、カナダ、ロンドンブリクストン地区において、マリファナを含めたソフトドラッグが合法化された。つまり、ハードドラッグであるヘロイン、スピード、コカインなどと大きく区別されたのだ。
     このことは意外とこの国、精神未熟な日本では知られていない。あたしは、ノンドラッグ、ノンスモーク派だが、多くのマリファナ愛好者の友人を持つ。東京、ロンドン、パリ、オックスフォードに住む友人達の80%が常用し、そして、アルコールと同じように何の副作用もなく、日々過ごしている。むしろ、アルコールの方が身体に悪いと皆、口を揃えて言う。さらにその50%がタバコの有害性を唱えている。その根拠は、マリファナは食にしても無毒だが、タバコは即時に嘔吐を催すからだと。
     確かに、あたしがオックスフォードで口にしたマリファナケーキ(マリファナのバッズを小麦粉にまぜ、甘く焼いたお菓子)は、無害だったばかりでなく、無限の可能性を示し、人間とは一体、何者であるのか? 人類は何故、地球上に生息するのか? 争うためか? 競うためか? 何故、人は動物、植物を殺し、それらを餌にして生き続けるのか? などを突き付けられた。この問いには、いつか必ず、誠意を持って答えなければならないだろう。
     ヨーロッパでは、60、70年代のカウンターカルチャー世代が財を築き始め、死に至らしめるハードドラッグを徹底的に排除し、ソフトドラッグをアルコールと同じように扱う意識改革が急速に進んでいる。オランダでは、マリファナの売買に税金までかけるようになった。ところが、日本はどうだ。あいもかわらず、マリファナも覚醒剤と同様に扱い、21世紀を迎えてもその頭の硬さは絶大だ。このお役所的硬さはありとあらゆるジャンルに浸透し、麻雀にも広がっているから深刻だ。例えば、ある程度の打ち手になると、役牌をしぼったり、ドラを殺したりとするわけだが、これが絶対的に正しいと思っているから馬鹿馬鹿しい。一日あたり、半荘戦10から15戦、5ヶ月間程、打ち込むと、そんな浅知恵だけでは、麻雀そのもののコンシャスネスフィールドには全く歯が立たないことを思い知らされる。強敵の意識はヨーロッパ人並みに鋭く広い。頭上の空がありとあらゆる国の空と、つながっていることを自覚している。最初の2半荘戦はなんでもリーチの全ツッパでやってくる。こいつぁ、いただきだと思いきや、がらりと3戦以降、戦法を変えてくる。どんな打ち方もでき、揺さぶりをかけてくる。あたしの正体を知ろうとする。小娘なぞとは侮っていない。乱れ打ちも徹底的だ。東場1局、第一打に中張牌を切れば、その強者は半荘戦、南場の3局まで手を崩してでも、第一打に中張牌を切り続ける。手の内は明かさない。打筋も見せない。彼等にとってその1戦だけが勝負ではない。次の半荘、明日の半荘と連鎖する麻雀の本質と闘っていかなければ、麻雀で生計を立てることはできないからだ。
     スピード重視のリーチ麻雀で、あたしは全くリーチをかけない達人に出会った。およそ、120半荘戦、打ったが、一度もリーチをかけずに和了を重ねるから信じ難い。吉村さん、地下カジノバー経営者で、一日億単位の金銭を動かし、のち、警視庁に手入れを受けるまで、あたしの雀友だった方。「リーチの何を信用する? 担保が裏と即か? 不要だな」このとき、あたしは鳥肌が立った。いずれ詳しく書き記すが、脅威的な達人と卓を囲むと、積み上げた日々が砂の城のように崩れ去っていくのがわかる。
     その日、タコだと思った打ち手が、次の日、レートを上げるやいなや、恐ろしい打ち手に豹変するのだ。ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉、『わたしは自分が何も知らないことを知っている』にならうと、あたしは、あたしが何もしてこなかったことをし続けている、となる。J-gameは、ゲーム麻雀であったことを心底知らされる。トップを狙うにしてもJ-gameでありがちな、のみ手フィニッシュはリアルではほぼ見られない。勝つときには、どこまでも攻めてくる、しぼりとってくる、ある連中にとってはそれが生活だ。麻雀に明日のパン代がかかっているのだ。
     しかし、あたしにもプライドがある。豊かな生活なぞ最初から求めていない。勝負へのこだわりだけで生き続けている。
     いつか、お兄ちゃんを倒す。小島武夫を倒す。桜井章一を倒す。阿佐田哲也を倒す。哲也氏はこの世を去っただけだ。あの世で倒す。そのために日々、精進している。亡きおじさんの遺志は受け継いでいる。一日一食、一日三時間以上睡を摂らない、瞑想によって集中力を養い、学にも時間を注いでいる。多くのことを覚え、多くのことを失い、無限の可能性に向かわなければあたしの存在する理由がない。この世に存在するなら、徹底的に肉体、精神と格闘しなければならない。あの世に行くにも準備が必要だ。ここでくたばっては、咲けぬ花びらに恨まれる。
     第1局、親の国士無双を和了したあたしは、半荘戦5戦を終え、4トップ、1三着の好成績で初日を終えた。雀マスに雀代を支払っている時、カウンター越しのテレビから、昨日、大麻とマジックマッシュルームの所持で逮捕された作家の中島らもの特集が流れていた。
     「身に覚えがないなんて、ふざけた野郎だ」と雀マスが言い放った。
     「往生際が悪い、好きでやってることなら、もっと堂々とすればいい」とも言った。
     「日本は遅れてきた文明国だもの」とあたしが、微笑むと「このあたりじゃ、君ぐらいの年の子はみな、はめられている。クスリには気をつけなさい」
     「わかった。麻雀には、はまるけど、きゃっは」
     「ここ客筋いいから、また、おいで」
     「ありがとうございました。失礼します」

     翌日もパチスロ屋に寄ったが、ぎらぎら兄さんは不在。ロードオブザリング 二つの塔の大看板、キャッチコピーは、『第一部は序章でしかなかった。遂に総製作費340億円のスケールが明かされる』だ。
     340億じゃ、歌舞伎町は買えないなぁとぐるりと見渡すと小さな花屋さんを見つけた。白、紫、黄色のフリージア三本を買った。とっても いい匂い。これで、煙に対抗できるとポケットにしのばせた。
     風林近くのP荘に入った。昨日と同じ雀荘では退屈だと思ったから。ここも賑わっている。雀ボーイから、ルールを説明され、ここは、赤5ドラ店であることを知る。5ぴん、5そう、5まん、各2枚ずつドラのインフレ麻雀だ。ただ、レートが点5、これは、ゆるい。この赤5麻雀からあたしはとても大事なことを教わった。とにかく、絶対的スピード重視であるばかりでなく、8巡目あたりで赤を一枚も持っていなかったら、徹底的におりないと、ハネマン、バイマンにいともたやすく振り込んでしまう。ピンフ7ドラなんて手が襲いかかってくるのだ。456、445566、45688のタンピン三色いーぺいこうが、赤5全て乗るとバイマンになってしまう。たかだか、半荘戦8戦だったが、誰一人、チャンタを和了した人はいなかった。逆に狙えば、和了しやすいかもしれないが、所詮マンガン止まりだから、意味がない。とにかく、5を核とした化け物麻雀の類いだ。のち、芸者ルールを知り、マンガン手が役満になる超インフレには目を白黒させられたが、、。
     この5戦目、南場2局のとき、対面の若い男が5巡目、3そうを鳴いて345(赤5入り)をさらした。ドラは南。 そして、続いて、男は上家の6ぴんを鳴いた。678。あっと、あたしは、息を呑み、こいつ、たんやおじゃないなと見破った。というのも、場に南と発が一枚も切れてなかったこと、そして、彼の河の3巡目にひらの5ぴんが切られていたから。たんやおなら、8ぴんを切るところを5ぴん切り。両面待ちにとったとなれば、実は9ぴんでもいいことになる。となれば、南はといつ、もしくは暗刻、へたすれば担保に発もあるのだろう。あたしは、引いてきた発を押さえ、様子をうかがっていると、男は、下家が切った発をロンし、11まん、345そう、678ぴん、南南南発発で和了した。ハネマンである。赤5麻雀の功罪をまのあたりにしたあたしは、まだまだ発見があるんだなぁと、赤5ぴんをくるっと反転させた。
                        to be continued

    3064 歌舞伎町番外地 第4回『邂逅』
    2004/02/29 06:52
        「本物の花をまねた造花はもうたくさんで、彼がいま欲しいと思っているのは、造花をまねた自然の花であった」           ユイスマン 作 さかしまより

     2月8日、麻雀倶楽部Fでの第2戦、南場オーラスを親で迎えたあたしは親を終えたばかりのトップ走者との差、12000点をどういう戦略でひっくり返すか、一発勝負か、連荘か、と脳裏に浮かべながら、つまんできた配牌を見て、ますます悩んだ。
       ドラ:
     悪手だが、白中いずれかを引けば、トイトイの3ファンまで持っていくことは可能だ。それとも、他に妙手はあるのか?  最速でも6巡後でなければ聴牌は無理だ。第一打、西。1ぴんつも切り。つも4ぴん、ここで一瞬、手が止まるが、5ぴん切り。つも4そうで3枚目の中切り。つも5まんで1まん切り。2ぴんつも切り。つも3まんで1まん切り。つも7まんでション牌白切り。つも8そうで6まん切り。これで、麻雀役の花形といわれる三色に狙いを定め、つも2そうとしたところで、だま。5そうを引いてきての手変わりを目論み、それが図星で5そうつも。
       自摸:
     2そう切りで出場最のだまとほくそ笑んだ瞬間、トップ走者がその2そうをロン。手を見てびっくり、というのも、
       栄和:
    と345が234に変わっただけの三色ピンドラ1のマンガン。灰皿を交換しにきた雀マスが、三色の同時性かぁ、惜しかったねと声をかけた。
     うんうんと精算しながらもあたまのどこかで、場にピンズが安かったから8ぴん切りはあったかもしれない。強者なら、その三色の同時性も念頭に入れるにちがいない、となれば、だまの親満聴牌に溺れたあたしは、舞い上がったタコそのものだと、後悔した。3、4戦目を打ち続けながら、あの2戦目のオーラスの4人の河を必死で思い返していた。三色の同時性のヒントになる牌は?  手順は? しかし、目の前で進行する麻雀を疎かにすることもできず、うっすらと見え隠れする三色河を振り切ろうと目を見開くが、散漫になった集中力は回復せず、2着、3着と終えたあたしは、雀荘をあとにし、宵闇の歌舞伎町を少しぶらつくことにした。
     喧噪の街といえども、まだ、空気は吸える。美味しくはなくても食べることはできるファーストフードのような味の中を彷徨った。真昼に比べ、ますます人は増えているように思えた。夜の仕事へと向かう面々もその数を増してきている。今日のところは、一旦、帰るかなと思ったその時、小雨がぱらぱらと路面を打った。あ、雨じゃんとあたしは、駅の方向に走ったが、雨足は強くなる一方だ。ズブヌレを避けたかったあたしは、目の前に見えた小さな喫茶店に飛び込んだ。こじんまりした裏路地にある店内には、老夫婦がタオルを持ってあたたかく迎えてくれた。
     「雨は体に毒だよ」と、白髪のおじいさん。「ありがとうございます」 「学生さんかな?」 「はい」 「東京育ち? それとも?」 「生まれも育ちも中野坂上です」
     「ほぉ、ご近所さんだね」 「はい」 「おいくつ?」と丸眼鏡のおばあさん。 「19歳です」 「若いねぇ」 「はい」
     あたしは、あたしに驚いていた。というのも、普段、面識のない人にプライベートなことを質問されてもまともには答えない術を身に付け、いつもはぐらかすのに、、、。ましてや、ここは天下の歌舞伎町だ。それなのに、すらすらと応じているあたし。おそらく、華やかな街には似合わない、この独特のノスタルジックな空間(テーブルが2卓に5席のカウンター、青っぽい照明)ともし生きていれば、この歳くらいの祖父祖母的老夫婦にあたしは、素直になれたのだろう、聞かれたことには、正直に答え続けた。そして、あたしは、あったかいココアを口にしながら、訊ねてみた。
     「麻雀、御存知ですか?」 「ギャンブルはてんで、駄目だなぁ」とおじいさん。 「歌舞伎町、昔に比べて変わりました?」
     「うーん、変わったといえば、変わったかなぁ。変わってないといえば、変わってないなぁ」 「人はそう簡単には変わりませんよ」とおばあさんがさらりと言った。
     「昔はこのあたりは、がれきだった。空襲がひどくてねぇ」 「そうだよね、あたしの家、難を逃れてさ、助かったんだよね」 「それは、それは」
     「街は綺麗になったでしょうが、人は昔と変わりませんよ」とおばあさん。 「いい人はいい、悪い人はいつでも悪い、そういうことね」と言うと老夫婦はくすりと笑った。
     「あたしのお兄ちゃん、麻雀で食べてるんだ。いつか、ギャフンと言わせたいから、今、麻雀にはまってるんだ」 「それは、それは」
     「なんだろう、麻雀って、カードと違ってさ、プレーしている人の背景が見えるんだよね。上手、下手とただ、2分化するだけじゃなくてさ、うまい人でも大小に分かれるしさ、木を見て森を見ずって、言葉あるでしょう?  そのとおりでさ、木をつついて勝つ人と森そのものを紅葉させて勝つ人とか、ま、何種類にも分かれるんだよね」とあたしは、饒舌にあたしの考えを語っていた。一息ついて、トイレへ行くと壁に貼られた一枚のポストカードにドキリと心臓が揺れた。忘れもしない画家、田中一村の奄美の杜 ビロウとブーゲンビレア。すごみのある絵。深い闇を極彩色で表現すれば、自ずとこうなるのか。あたしの先輩、Jさんがこの世で一番好きな絵、、。
     高校2年の夏、あたしは恋に落ちた。美術部のJ先輩の目のきらめきといつも颯爽としている姿にときめき、告白した。J先輩はにこやかに、好きな人はいない、でも、好きなことがある。と、田中一村の画集を見せてくれた。
     「このツマベニチョウは僕の生命そのものなんだ。この絵を越える絵をいつか、必ず描いてみたい。それまでは、絵に塗り込められた神秘を解かなければならないんだ。それがわからない今の僕には恋愛をする資格もないし、生命そのものを冒涜してしまう」
     顔色を失ったあたしは、あたしを恥じた。恋愛よりもカードに身を染めていた頃、言い寄る人たちに返していたセリフをそのまま返されたからだ。ごめんなさい、とあたしが頭を下げると、J先輩は、その蝶のような純粋な目で、僕の方こそ、君を煩わせてごめんと去った。翌年、J先輩は、奄美に移り住み、音信は途絶えている。
     2004年2月14日、ロード オブ ザ リング 旅の仲間をやっと観た。観なければならなかった。シリーズ2作目3作目へと続くこの映画は本来、あたしの趣向ではない。冒険は観て感じるものではなく、身をもって知ってこそ冒険と考えているからだ。
     昨年初秋、留学先のオックスフォードから一週間、スコットランドへイギリス人、サラとツーリングした。噂には聞いていたが、グラスゴー、エディンバラより北はヒース、日本名エリカが生い茂っているところもあるが、全風景的には、火星のような殺伐とした風土が支配している。イギリスSF映画によくロケーションされるのにも納得がいく荒涼感が漂っている。車、バイク一台すら対向車が現れない道が永遠と続き、ここが、同じ地続きのイギリス国土なのか?  と戸惑ってしまう。フィヨルドが見え始めると、鋭い切り込むような美しさに目が奪われ、人気のない大自然のすごみが伝わってくる。とりわけ、小さな町、クラスクから望むフィヨルドを挟んでの山々は身が震えるほど美しい。驚異的な美の結晶と言い切ってもいい。
     向こう岸あたりから、漁船が帰ってきたので、ねぇ、あの山の麓には誰か住んでるの? と声をかけると、「お嬢さん、貴女と一緒なら、第1号の開拓者になってもいいぜ」とイギリスジョークを飛ばされた。誰も住んでいないってことかぁと眺めると、ますます真の美しさは人の匂いが断ち切れた場所にあるのかなと魅入られてしまった。
     こんなあたしが、冒険映画に接したのは、3日前、2月11日、歌舞伎町の雀荘Kで打っていると、雀マスが呼びにきた。お兄ちゃんから電話だという。こんなことは初めてだ。なんだろう?  と受話器を取ると、J先輩が、危篤だ、病院へ向かえとお兄ちゃんが言い放った。あたしは、あわてて雀荘を後にし、タクシーを拾い、携帯の電源を入れると、夥しい数のメッセージが録音されていた。ひとりの後輩から電話が入った。事情を聞くと、246の上馬交差点で右折時に対向車と接触、そして、後続車に轢かれ、全身打撲の重傷だという。意識もないという。あたしは、あたしの頭が真白になっていくのを止めることはできなかった。
     彼とは、あたしが、中学3年、渋谷で遊んでいる頃、知り合った。切れると何をしでかすかわからない荒くれ者で、それは鞘のない抜き身のような存在だった。だが、どういうわけか、女の子にはやさしく、特に、つきあってもいないあたしをよく映画に誘った。映画の趣向が全く異なるから、踊る大走査線の時も、やだよ、観たくない、織田裕二は嫌いだものと言うと、バカか?  あれは、長さんの映画だと強引に見せられた。映画館ではいつも、一喜一憂し、よく笑い、よく泣くので、映画そのものより彼を見ている方が面白かった。一度、血まみれになった彼の拳にハンカチを差し出すと、いい匂いだと笑顔を見せた。年少との往復の末、彼が好きだったバイク遊びが嵩じて、修理工場へ就職、そこの娘さんと婚約したことは、お兄ちゃんから耳にしていた。
     病院へ着くと、30人ほど彼の仲間が集まっていた。死の影が彼に忍び寄っているのか、とても重い空気が充満していた。後輩のひとりが、あたしに駆け寄り、泣きじゃくった。お兄ちゃんが、やばい、頭蓋骨も割っちまったと呟いた。それから、朝方まで誰も帰ろうとせず、事の成りゆきを見守っていると、7時11分、彼はこの世を去った。嘘だろ!  嘘だといってくれよと誰かが叫んだ。大きな悲しみがあたしたちを襲った。
     お通夜の席、婚約者の方があたしに声をかけた。 「エリカさんでしょう? 彼からよく話はきいていたのよ」 「えええ」「好きでもない映画によく、つきあってもらった、宝物だって酔うと話題にのぼってたのよ」 「、、、、、、」「もう、何度も見てるロード オブ ザ リング、連れていかなきゃな、一人じゃ観に行かないって」 「よく、あたしのこと、知ってるなぁ、、」「よければ、観にいってあげて。彼もきっと、喜ぶから」
     お葬式の日、あたしは友人を代表して弔辞を述べた。お別れに何を言うべきか悩んだ末の言葉。
     「浜辺なら潮騒が、
      草原なら朝日が、
      洞窟なら暗闇が、
      崖っ淵なら風が、
      めぐりあった日々を想い起こしてくれるだろう。
       本当に好きなこと、
      本当に嫌いなこと、
      本当に夢のようなこと、
      本当に嵐のようなこと、
      本当に、本当だけで、過ごしていたこと
      いつまでも、どこまでも、つながり、
      その絆は日が経つにつれ、ますます、深く結ばれていくだろう」
                            to be continued

    3284 歌舞伎町番外地 第5回『老獪』
    2004/05/12 06:47
        「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
     「星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるからなんだよ」
                                サンテグジュペリ 星の王子さまより


     歌舞伎町にデビューしてから、またたくまに1週間が過ぎ、75半荘戦、トップ35、2着28、3着10、4着2、勝率4割6分6厘と絶好調、勝ち金も新品のPCが、5台は楽に買えるほど貯まった。
     半荘は東風に見られるギャンブル性が非常に少なく、同じ面子と3半荘戦も打てば、その雀力と打ち筋、好きな役、ドラの使い方、かんの用い方、攻撃と防御のバランス具合などが、手に取るように分かり、また、多くの打ち手は、テンパルと微妙に、気、が動き、あっ張ったなとこれも容易く分かる。
     張ったことがわかれば、その手が大きければ、回せばいいし、安ければ、こっちは、気にせず厚く打てばいい。
     正直、2ピンのレートでは、あたしが求めている強い打ち手は、誰一人見当たらなかった。といっても、ここで天狗になるほどあたしも世間知らずではない。最も身近なお兄ちゃんの存在然り。あたしより強い連中はごろごろいるのだろう。そのクラスの打ち手になれば、気も殺してくるだろう。想像を絶する仕掛けも披露するのだろう。

     例えば、プロ雀士、小島武夫。
       ドラ:
     これは、彼の有名な牌姿だが、南2局9巡目、彼はここから、6まん切りを選択した。そして、先切りしていた9そうを引き戻し、その間、他家からリーチがかかり、147まん待ち。だが、1まんを雀頭にし、純ちゃん三色へと向かう。
       ドラ:
    となり、7そうをロンする。この牌のさばきが、小島武夫流といえよう。

     先日の25期牌王位戦、準決勝で、このさばきに匹敵するしゅしゅあにぃの打法を目撃した。
     東場オーラス、風は西、ドラは7そう。 配牌、
       ドラ:
    このとき、しゅしゅあにぃは、決勝へ残るためにもトップを走るいちださんから直撃の役満級を取るしか術はない。ラス親のいちださんが和了し続け、その点差が開いていたからだ。
     この配牌を見た瞬間、四喜に向かうだろうなとは思ったが、その字牌の数が不足しているので、よほどの気が動かない限り、無理はあるだろうと静観していると、第一ツモ、ドラ7そう、しかし、1巡目でなっちが、2枚目の北を切り、これをポン。5巡目に東を引き、7ぴん切り。続いて、東を引き、暗刻にした。執念がもたらす驚異的な引きだ。
     これをそういう流れだからだ、と、言う方がいれば、一生、その方は、しゅしゅあにぃには勝てないだろう。その根拠の一つとして、2枚目の北をその方は、ポンできないからである。その手がどこに向かうか早い巡目に見極める力が、実は麻雀では最も必要な力の一つだからである。また、ここでいう執念とは、どういう状況でも諦めずに打ち続けてきた、まくりの意識ともいえる。
     7巡目、3そうつも、9まん切り。8巡目、5そうつも、1まん切り。9巡目、待望の南を引く。あたしは、固唾をのんで、さぁ何を切るの? しゅしゅあにぃと思わず声を上げた。
        ドラ:
     全体の河には、1そうが2枚、4589そうが一枚ずつ、捨てられている。このとき、しゅしゅあにぃは、2秒でドラの7そうを切った。続いて6そうつも、5そう切り、5そうつも、3そう切り、2そうつも切り、3ぴんつも、5そう切り。
     14巡目、いちださんの西をポン、3ぴん切りで、小四喜、南単騎をてんぱるのだ。この間、なっちが、11、12巡目に南のといつ落しをしているので、地獄待ちだ。
        ドラ: (ひいい挿入)
     巡は進み、17巡目、なっちが、引いてきた南をつも切りした。ここで、和了しても、トップのいちださんをまくれないばかりか、決勝へも進めないため、当然、しゅしゅあにぃは、見逃した。これで、役満まくりの夢は消えた。そして、さらに、しゅしゅあにぃは、19巡目、海底に、3そうを引くと、あたかもそれがいちださんの当たり牌であることを知っているかのように、南を切って、万全を尽くすのである。
     この戦いは決して忘れられない勝負の一つとなった。

     また、昔、代打ちをしていたまさすぅさんも怖い打ち手だ。例えば、次の手牌。
       ドラ:
     オーラス、風は南、ドラは5まん。トップの西家とは、14000点差。マンガン直取りか、ハネマン以上をつもらなければ逆転はできない。9巡目、ここに3枚目の東を引いてきたまささん、しらっと穏やかにドラの5まんを切るのである。このいーしゃんの時点で、前述したしゅしゅあにぃのドラ7そう切りのように、逆転への聴牌形を想定した、高い意識での切りを仕掛けてくるのだ。狙いは四暗刻。
     ここで、多くの打ち手は思うかもしれない。ドラを引いてくる可能性も含めた牌効率を考えれば、東のつも切りが妥当ではないかと。しかし、このとき、場はといつ場で、あたしの手牌は、
     
    で、てんぱっていたが、トップとの差は31000点、北家なので、バイマン直取りか、役満を和了するしか道はなかったので、トップが切り捨てた中には和了できず、歯痒い思いで、ドラをもポンを見送っていたのだ。しかし、あたしは、4枚目のドラ5まんを引き、白がトップから出れば、逆転のたてほん、いーぺいこう、白、ドラ3をてんぱり、虎視眈々と場の行方を窺っていた。ここで、トップが4枚目の東を切り、まささんは6まんを引いて、打東で変則三面待ちだが、8ぴん以外では、まくれない四暗刻単騎をてんぱった。
     1000点しかない親が9ぴん切ってのリーチ。まさすうさんは当然、見逃し、7まんをつもり、穏やかにかん。このかんがすごかった。通常なら、かんはないが、親の三色789のぺん7まんを見破っていたから、驚きに値する。りんしゃん牌の5そうを叩き切り、トップ走者がポン。たんやおといといをてんぱり、4そう切り。
     ここで、あたしは、8ぴんを引いて、痛恨の四暗刻単騎に放銃した。これが、初役満放銃、未だに脳裏に焼き付いている展開だった。のち、12Rであたしが主催している半荘戦の会の師範にまさすぅさんへお願いしたのも、ここぞという勝負強さに一目置いているからである。
     強者だけが持つ独特の打ち筋は、研ぎ澄まされた読みと何千なる実戦から得た勝負勘を土台に成り立ち、それは、生き物のように進化している。あたしが、この歌舞伎町で生き抜き、勝ち残るには、あたし流の打ち筋を身に付けることだと断言してもいい。

     2月11日、日課のように、パチスロ屋へ行き、ぎらぎら兄やんを探すが、不在。天を仰ぎ、しばらく考えに耽った。5ぴん以上のレートの店を見つけるにはどうしたらいいか。お兄ちゃんに頼るのだけは避けたかったが、Σ荘の雀マスに聞くのがてっとりばやいと、そのビルに向かうと、エレベーターに故障の貼紙。裏へ回ると非常階段があり、5階まで上っていくと、それ以上は、ビールの瓶ケースや掃除道具が置かれ、とても通れる状態ではない。あたしは諦め、5階のフロアーに歩を進めた。夜の飲み屋系が犇めくのか、ほとんど看板が出ていない。まだ、時間が早いのだろう。それにしても、空気がやたら乾いていて、そして静寂。ちょっとしたゴーストタウンをさまようような感覚に包まれる。よく見れば、天井の蛍光灯にも蜘蛛の巣が張られ、餌食になった蝶の残骸、褐色の片翅がからまり、弱肉強食の凄みを伝え、目を凝らせば、乾燥からくるダストの粒子がびっしり、酸素にへばりついているようにも見える。
     息苦しい。そのうえ、怪しい気が充満している。妖怪の一匹や二匹、出たって不思議ではない。と、このとき、看板すらない扉が突然、開き、サラリーマン風の男が、足下おぼつかなく、あたしの眼前に飛び出してきた。びっくりさせないでよ、と内心吠えながら、看板のない飲み屋なのかなぁと中に目を向けるが、二重扉になっているようで様子はうかがえない。
     ま、いいかと、思ったこの瞬間、その出てきた男が「追っかけに振り込むなんて、流れがわりぃやぁ。つもりゃ、裏3で、まくりトップだったのによ、ついてねぇなぁ」と愚痴ったのだ。
     その歯ぎしりを耳にしたあたしは、すかさず、「ここ雀荘なんですか?」と尋ねた。きょとんと足を止めた男は振り返って「そうだけど、、」とあたしを見つめたので、「レートの高い雀荘を探してるんです。ここって」「ほぉほぉ、打ちにきたってことかぁ。で、高いってどれくらいかな?」「5ぴん以上だったら」ときっぱり答えると、「あぁ、それなら、そこだけど、残念だなぁ。一見さんは駄目だよ。紹介者が必要なんだ。つまり、会員制クラブなんだ。他、あたりなさい」「そうなんですか、それなら、ちょうど良かった。紹介者になって頂けませんか?」「えぇ、僕が?そりゃあ、君、無理だよ」「どうしてですか?」「君とは面識ないし、それに、紹介者っていうのは、ある意味、負けたときの連帯保証人みたいなものだから、とんでもないよ」「だったら、大丈夫です。あたし、負けないですから」と強い口調で告げた。「君、負けないって、、、君がどれくらい強いかそれは知らないけど、ここは相当強い。僕は雀力には自信があるけど、今日は半荘4戦で、20ほど負けた。麻雀は、ツキが左右するゲームでもある。流れがなかったら、さっぱりだ」「あたし、ツキとか流れとか信じてないですから」「なんだ!?流行りの牌効率至上主義ってことかい?だめだめ、麻雀はそんな算数のからくりだけで成立してるって思ったら、大怪我するよ」「いいえ、それも、信じてないよ」「え!?どういうことだい?じゃあ、いったい君が強いっていう根拠はなんだい?」「想像力です。配牌にといつがひとつも無くても、見極める想像力があれば、四暗刻は可能です。19字牌が一枚もない配牌でも、14巡目後に国士無双が和了できる想像力が働けば、それは可能です。麻雀はツキや流れや牌効率ではなく、目に見える136牌がどこに向かっていくのか、それを見極める想像力があれば、雌雄を決すると思います」「うーーん、想像力ねぇ、、」
     あたしは、ジャケの内ポケットから、5枚の札を男に握らせた。「紹介料です。決して御迷惑はおかけしません。よろしくおねがいします」男はうっと声をもらしたあと、「身の程知らずっていうかぁ、、、わかりました。林田と言います。君は、、?」「エリカです」「若さかなぁ、、」と林田さんはおもむろに携帯でメールを打ち、すると、前の扉が、開けごま、のように開いた。あたしは、やっと、こじ開けた次の舞台にうきうきと身を踊らせた。レートが上がれば、骨のある打ち手はいるだろう、そんな軽い気持ちだった。しかし、そこは、あたしの生半可な想像力では組しきれない場、サンテグジュペリが言う、砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているからだよ、に、ならえば、牌が美しいのはどこかに殺意を隠してるからだよ、を、あたしの脳に植え込んだ男が、待ちかまえていたのだ。
     オートロック式の二重扉の二枚目が開くと、目に飛び込んできたのは、洋風BARのカウンター店だ。予想外の展開にどぎまぎしていると、出迎えた女性?の方がくぐった低音で、「あら?林田さん、今日は打ち切りじゃなかったの?火遊びが過ぎるとやけどしちゃうわよ。それとも、淋しくなった?」 「よせよ、僕のめいっこが打ちたいっていうから、連れて来たのさ」「あら、やだわぁ、可愛い子ちゃんじゃない?」「はじめまして、エリカです」「桜子よ、お初ね。おかけになって」と片目をつむった。あたしは、ニューハーフ系の桜子から、おしぼりをもらい、オレンジジュースを注文した。 「あら、やだわぁ、ずいぶんと細い指じゃない?」と桜子は林田さんにビールを注ぎながら、あたしの右手に鋭い視線を刺してきた。「苦労してないから」とあたしがさらりと答えると「このあたりでお打ちになってるのかしら?」とオレンジジュースを差し出して尋ねた。「はい、まだ、駆け出しです」「あら、そうなの?ここはお高いわよ。御存知?」「はい、林田おじさんから聞いてます」「まぁ、腕に覚えがあるってことかしら?肝が座ってるじゃない」「一杯やりなよ」と林田さんが桜子のグラスにビールを注いだ。あたしは、悟られないように、店内を観察した。「エリカちゃん、おいくつ?」「19歳です」「まぁ、可愛いだけあって若いじゃない。お肌もつるつるだし」「じゃなきゃ、10代じゃないじゃん」と笑うと「まぁ、はっきりした子ね」と桜子はむすっとなった。

     「エリカちゃん、ひとつ、質問していいかな?」と林田さんが口を開いた。「はい、答えられることはなんでも」と顔を向けると「南場オーラス、ドラ4そう、風は北、西家のトップとの差は5500点、10 巡目、君は
       ドラ:
    で、てんぱり、リーチをかけた。待ちは3、6まん、つもれば逆転だが、南家から6まんが出た。リーチ中ドラ1、5200。裏ドラ期待で、君は和了する?」「はーい、和了します。だって、ロクヨンだもの。まくれたじゃん」「どういうことかな?」「だってさ、中の暗刻が、8符、場風の南が2符、57のかんちゃんで、2符、計12符、門前の基本符20に、10符、足して30符。合わせて42符。切り上げて、50符3翻、子供は6400、ロクヨンじゃん」
     林田さんは、にこりと頷き、上がるよと桜子に告げた。ごゆっくりと桜子の声とともに奥の鏡張りの壁が音もなくすーっと開いた。手が込んでるなぁと滅多に驚かないあたしも目を丸くしながら、次のステージに上がると、奥には絨毯張りの部屋が現れ、4卓の全自動台全てに会員と思われる面々が牌と触れあっている。
     やや、あたしは、拍子抜けした。ここまでの仕掛けから考えれば、麻雀小説や劇画に出てくるような鉄火場を想像していたからだ。だが、そんな殺気は微塵もなかった。どちらかといえば、和気あいあいとしている。林田さんが雀ボーイを呼び、あたしを紹介した。ルールとレートを説明される。他の店と異なる点はレートぐらいで、さほどない。ただし、東場でドボンすると、トータルの倍付けになる。これさえ、気をつければ問題ない。
     それにしても、店内の空気は穏やかだ。あたしは、一応、通しカメラの有無や何か気になる点を見つけようと店内を観察し、席に着いた。林田さんはあたしの後ろに座り、見学させてくれとと言った。相手は、ホストの兄さんとサラリーマン2人。1戦目、メンタンピン三色やたてほんドラドラを和了したあたしがトップ。2戦目もたんやお、ちいといつのドラをだまでつもり、完勝ペース。オーラス、トップ目のあたしは、タンピンを張り、だまでフィニッシュを迎えようとしていた。
     このとき、林田さんの席のそばに一人のおじさんが近寄り、「めずらしおまんな、見でっか?」と話しかけた。「えぇ、めいっこが打ってるので」「ほぉ、若おまんなぁ。4、7ぴん待ちでっか。こりゃあ、上がれますわな」あたしは、心臓がひっくり返るほど驚いた。だって、あたしの待ちを声にして告げたからだ。ありえない、ちょっと、あんたと、言いかけた時、対面の男が聞こえなかったのか、7ぴんを捨てた。あたしは苦笑しながらも和了した。「ほら、出ましたやろ?ついてまっせ」とがまがえるのような男は舌舐めずりした。
     2連勝したものの、あたしは、このがまがえるの無神経さに極度の嫌悪感を覚え、喜びは吹飛んでいた。「2連勝でっか?強おまんな。ほな、兄さん、かわりまひょうか」とがまがえるがあたしの卓に着いた。
     林田さんはにこりとあたしに「杞憂だったようだ。頑張って。僕はもう、帰るから。これは、2連勝のご祝儀だよ」とあたしが先程、外で手渡した5枚の札をあたしの手に戻したのだ。「いえ、これは」「いいから、とっておきなさい。いくらあっても、こういうものは邪魔にはならないから」と席を立った。「ほぉ、ごほうびでっか?若いおなごはんには、かないまへんなぁ」と、がまがえるは卑しく笑った。
     その奇妙な笑い声にかちんときたあたしは、全神経を集中させて、ドボンを食らわしてやろうと卓を囲んだ。リアル麻雀での初の敵対心は見事に牌に乗り移った。 東1局、あたしの風は北。ドラ8ぴん。
       ドラ:
    あたしは、迷わずダブルリーチをかけたのである。
      「ダブルでっか? ダブルっちゅうのは、よう考えんと、たたられること、おおおまっせ。表の顔と裏の顔がある。それが、ダブルですさかいなぁ」 うるさい! あたしはがまがえるを睨み付けた。                   to be continued

    **** 歌舞伎町番外地 第6回『』
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