号外版:1周年記念臨時増刊号
正月特別企画・JPエッセイ特集
これはレギュラー版ではなく、臨時増刊の号外版です。
正規の『あらまあー15』は、1月中旬配信予定です。
注:添付ファイルは気にしないで下さい。
単なる花札の図柄です。
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今年はじめてのご挨拶BYあらまあー
明けましておめでとう。
ついに2003年がやってきました。
今年もJプレイヤー様たちにとっていい年でありますように。
さて、年末年始には各地でJユーザーたちの集いが催されたようです。
12月20日には東京で、1月3日には北海道で、それぞれオフ会が開かれ、豪華な
顔ぶれが集まったと聞いています。(名古屋オフはお流れになったとか。。。)
OFF会に関しては、機会があれば、『あらまあー15』にて報告したいと思いま
す。
今回の号外版・増刊号は、1周年記念号として、従来の麻雀ネタをひかえめにし
て、前号に引き続いてプレイヤーズ・エッセイ特集をお贈りします。
なお、前回のJPエッセイ特集は大好評でした。
この場を借りまして、執筆陣の皆様、RENさん、あい1112さん、群龍さん、雫さ
ん、メグミ444さん、キララさん、いなださん、雀子さん、或未完さんに、御礼を
述べておきます。
皆さん本当にありがとう、お疲れ様でした。
なお、今回も前回に劣らぬ超豪華な顔ぶれの執筆陣となりました。
以下に作品リストを掲げます。
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JPエッセイ特集(PART2)作品リスト{登場順}
新年のご挨拶-------------拓郎
エッセイをドタキャンする言いわけのためのミニ・エッセイ
--------------------------チポりん
麻雀と私------------------アイママ
花子(後編)--------------メグミ444
酒と女と借金と------------LOTO.6
ハンドルネームについて------和研
部屋と麻雀と私--------------NABA
続・家庭教師の本音-----------雫
電車・駅での思い出深い三景------ひいい
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連載・おじさんバンド奮闘記
(第三回)過去と今の連鎖---------REN
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以上、10人のプレイヤーの10作品です。
なお、前号の予告でお知らせした今回の執筆メンバーのうちの、
バフ(buff)さんとキシボン(kishibojin)さんのエッセイは
スペースの関係上、あらまあー15に掲載します。
この2作品もなかなか面白いです。お楽しみに。^^;
どうか新春の穏やかなひととき、皆さん、ごゆっくりとお楽しみください。
(って、σ(・_・ )はNHKの司会者かあー? 爆!)
φ(・。・)・・・・・・・・・
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さて、トップバッターはJの大兄貴分(爆!)、拓郎さんにお願いしましょう。
新年のご挨拶です。
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新年のご挨拶 BY 拓郎
明けましておめでとうございます。
Jゲームに来てから今年で3年になります。
そのわりにはポイント少ないって・・……(-。-) ボソッ
ランキング入ってるのにトップ率ビリだし"
ノ(-________-;)ウゥーム・・・
ところでこんなに長くJゲームにいってるかって言うと、
麻雀だけではない、なにか文字だけの世界なのに、その文字の中に、
楽しさや、優しさや色々なものがあるから、
今日までJゲームで麻雀を打っていると思う。
Jゲームに行くことにより素晴らしい仲間がいること、
それは俺にとってなくてはならない場所になりました。
このあらまあ通信を見てる人にはいないと思いますが、
たまーーにロビーで人の悪口言ってる人見ますよね。
あれは、とてもやな感じに思っています。
言いたいことがあるなら、直接その人と話せばいいのに、
ネットは文字の世界なんだから、
(ちょっと音声もあるけど)
Jゲームではまだまだ文字だけだから、
傷つけないように気をつけていこうと思っています。
今年は、もっともっと楽しい仲間ができたらいいなー
そして、忙しくてなかなか来れない昔の人たちも、
今年はちょっとは顔を見せてほしいと思っています。
その為にも、ことしもJゲームいくぞーーーーー
=*^-^*=にこっ♪
最後に、これを見てる人たちの 幸せを祈ります。
いい年でありますように。
拓郎
________________________
拓さん、どうもありがとう。今年もよろしくねーーー。^^w
今回は拓さんのみならず、アイママさんや和研さんにも寄稿をお願いしました。
どうも、あらまあーの無理を聞いていただいて、ありがとうっす。かたじけないっ
す。
そして2番手はJの陽気な美人人妻(?)、チポりんさんの登場です。
チポさんはぎっくり腰になられてPCの前に座れなくなり、
そのためエッセイ寄稿をドタキャンというハメになりました。
断わりのメールは書けるんかいっ。。。(-。-)ぼそっ(爆!)
ところがこのドタキャンお知らせメールが
飛んじゃってる文章でなかなか面白いので、
これをミニエッセイとして採用することにしました。w
題して、
『エッセイをドタキャンする言いわけのためのミニ・エッセイ(爆!)』
________________________
エッセイをドタキャンする言いわけのためのミニ・エッセイ(爆!)
BY チポりん
◎\( ̄O ̄)オハヨーヨー!!
Ξ(  ̄▽ ̄)ノ―――――――◎)+o+)
大晦日チックの心持の てんやわんやんの空き地に
インストール・・・ww。
*<(・x・)o∠※PAN!"。・:*:・゜
☆ハッピークリスマス☆ に 私がイタダイタ・・プレゼントは
ぎっくり腰・・・^^;
☆*Merry*☆=- ★=- ヽ(^∇^*)ノ -=★
パーティーの食材をたんまり買い込んで 我が家に到着
・・荷物を降ろしたとたんに、、腰に違和感が
(ギックリとはなってない)
身体を 折り曲げながらも
家族のために(私のため?^^;)食事の仕度を完了のとたんに
緊張の糸がブッチン・・・・・
寝込んでいました
・・身動きがとれずに・・
寝たきりおばちゃんになってみますと
いろんなものが鮮明に見えてきました
私が家族を いかに甘やかしてきたことか
・・・(あくまでも 私の主観です^^;;)
室内で2匹の犬を飼っている我が家といたしましては
毎日の布団の毛取りが最大お掃除課題になっているのに
私が寝込んだとたんに部屋の掃除もストップ。。
って・・・・あきません
また腰に負担が・・~(=^‥^A アセアセ・・・
ごめん あらまあー編集長
書けたら今年中に書きますけど
ちょい 横になります。^^;;
一応保存っす@@
横になって 縦になって
家族会議が入りまして
甘いのは 私。。。
だとの指摘を受けまして・・・・(不満足^^;;
お花に関しての エッセイをφ(`∇´)φカキコカキコ♪
したかったんだけど
中途はんぱに 終わりまして
編集長 今回の依頼は水に流して・・・
ごめんなさいです 。
治りかけの27日
我が娘がリラックス状態の私に氷のような冷たい手を
おかぁさぁぁん====
〜〜〜”とくっつけてきたのが
病状悪化の要因を・・・
益々の 。。。。。
私の寝姿はおばちゃんパンツにタンクトップ・・・
長引く 病状を・・・・
(沢山の(・x・ ).o0○を・・・ってなわけで・・
またまたごめんなさいです。
(`□´) 以上 言い訳でした・・・。
マジ? (゜┏Д┓゜ ;)
ごめんです・・・。 病床のチポより
年末ジャンボ
ヽd´ι`bノ Oh・・・ハズレ
あらまぁーは モチ、は・ず・れ^^:::
明日に 向かって ボンバイッェェェェェェェェl”
非常に わかりづらい文章の言い訳になりまして・・
つまりは ぎっくり腰になりまして
治りかけで娘に追い討ちをかけられて・・・ww^^;
治ってないので ドタキャンというわけです。
ごめんさないです
編集長のお力で小さな穴を埋めてくださいませませ。
それでは よいお年を〜〜〜〜〜〜〜。
( ̄ー ̄)クル(  ̄ー)(  ̄)( )( )() * パッ
_________________
はい、チポ〜〜、どうもありがとう。
ぎっくり腰、早く直してねー。^^
続いてJの大アネゴ(爆!)、アイママさんの登場でーーっす。
すごーーい経験談が書かれていますよーー^^;
あらまあーびっくりw
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麻雀と私 BY アイママ
あけまして、おめでとう〜〜 (●^o^●)
私もJゲームに来て1年半が過ぎました。
最初は文字も思うようには打てず、
誤解を招いたりメインで叱られたりと、色々な事がありました。
ネットで麻雀なんて、考えてもいませんでした。
最初テーブルにはいって感じたことは、
「おめ」とか、「あり」とか
・・何の事だろう・・・?って、
よく解りませんでした。
アハハ・・・
そんな私も、いつしかすっかりどっぷりハマッテしまいました。
(^ε^)最初は麻雀をする人は不良だと思ってました
・・・あはははは
麻雀を覚えたきっかけは、
友達がメンバーがいないので、どうしてもって
・・・それからー私の人生は大きく変わりました−
お酒も飲めない踊りにもいかないー
どちらかといえば体育会系の私でした。
一時はプロボーラーへの道も、考えた事がありましたー。
アハハ(本当だよ)
そのころの私は、自分で言うのもなんだけど
・・・とにかく強いのー一言でした。
一人暮らしで気ままな生活を送っていた私は、
土日はほとんど麻雀でした。
欲しい物は何でも買えるぐらい
(電話・コート・ブーツ・・・等など)
勝たせてもらいました。
いつしか、枝分かれで麻雀仲間も増えて、
危ないおじさん達とも、打つようになりました。
(>v<)
そんなある日のこと
・・・昨日一緒に打っていた危ないおじさんが
射殺されちゃったんですー
これには、ほんとにもうー驚いちゃいました!
そのおじさんは
勝っても負けても笑ってる優しいおじさんだったのに
・・・(組長だったからな〜)
こんな麻雀生活の私にもいつしか子供ができ、
旦那様の転勤で北海道を離れることになり、
もう麻雀は打つことも無いだろうと思っていました。
東京へ来て12年・・・
一度も麻雀を打つこともなく、ごく普通のママでした。
アハハ・・・
ところが、
PCを買ってネットサーフィンしてる間に
こんなとこ見つけちゃって
・・・今まで眠っていた私の中の何かが動き始めちゃいました
・・・(^ε^)/ ″″
そんなこんなで、今の私があるわけでして
・・・・今年もよろしくね!
今年の目標
・・・J-BOYを抜いて1位になることアハハ(嘘で〜す)
では、またね〜〜〜
(●ε●)/ ″″★
aimama&樹里
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ママ、どうもありがとう。
ママが北海道にお住まいになっていたとは、初めて知りました。
それにしても、いっしょに打ってた人が射殺されちゃったとは、
それも組長だったとは、
スゴーーーーイ話ですねーー。^^;
やはりこれからはママのことはアネサンと呼ぶべきか。。(爆!)
ヽ(^∇⌒*)☆(o_ _)ノ彡☆ばんばん!
どうもオツカレサマでしたーー。
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麻雀ちょこっと豆知識
{PART1}プロ組織の競技麻雀ルール
あのナバさんも初段の免状を持っている「日本プロ麻雀連盟」、
通称『プロ雀』(=ぷろじゃん)の競技ルールをご紹介しましょう。
(1)東南(半荘)戦、食いタン先(後)づけなんでもあり、
リーチ1発(1巡内のロン・ツモ)なし、
ドラは最初の1種類だけ。(カンしてもドラは増えず、リーチに対する裏ドラもな
し)
(2)常に1飜しばり。5本場積みによる2飜しばり(リャンシバ)はない。
ノーテン罰符は場3千。1本場は3百加符。
流局は、東家がノーテンなら『オヤ』は南家に移る。
オーラスのオヤもノーテンなら荒局終了となる。
(ただし、グループによっての取り決めで、
オーラスのみ荒局とせず子がアガルまで試合を続ける、という場合もあり)
(3)3万点配給原点の3万点返し。
(3万点を基準としてプラス・マイナスでスコアを表示する)
最終スコア表示は1ポイントを1000点単位で表示する。
例:最終持ち点29000なら、マイナス1000点なので、⇒−1 と表記。
最終持ち点35000なら、⇒+5 と表記。
順位によるポイントは以下のように加算される。
{A}一人プラスの場合・・・・・トップ・+12、2位・−2、3位・−4、ラス
・−6
{B}二人プラスの場合・・・・・トップ・+8、2位・+4、3位・−4、ラス・
−8
{C}三人プラスの場合・・・・・トップ+6、2位・+4、3位+2、ラス・−1
2
(4)フリテンはロンあがりできない。(ツモは可)
また、ヤミテンでアガリ牌を見逃した場合、自分のツモ番を経てからでないとふたた
びアガリ牌が出てもロンできない。(同巡フリテンの規定)
リーチ後のアガリ牌見逃しは、それ以降ツモ専。
(5)ひとつのアガリ牌で二人以上が「ロン」を宣言した場合(ダブロン、三家和)
は上家に和了が認められる。(頭ハネの規定)
(6)途中流局は、四風牌連打、九種倒牌、四カン流れ(同一人物がすべて4個のカ
ンをした場合は四槓子という役満があるので、流れない)、四家リーチ、の4ケース
とする。
三家和(サンチャホワ=3人ロン)は流れず、上家優先のアガリと認める。
(7)アガッた手には場の2飜加算。満貫は40符以上6飜で、子8000、親12
000、アガリ符に関係なく8飜で5割増し(ハネ満)、10飜で倍満、13飜で3
倍満となる。
おおまかなところ、以上のようになっています。
リーチ1発や裏ドラという偶然性を廃した規定は、
『麻雀という競技にも囲碁や将棋のようにきっちりとした実力差を反映させよう』
というポリシーが感じられます。
ただ、ゲームとしてのスリルや醍醐味という点では、
「現在のJのルールのほうが楽しい」
という人が大多数でしょうね。それも当然のことでしょう。
以上、プロ組織の『競技麻雀ルール』でした。
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さて、
前号で独特の「日常生活空間」を披露された
メグミ(mequmi444)さんの「花子」、今回がその後編です。
前号の前編では、
メグミさんがガーデニングに挑戦し、
ご自分のベランダを『お気に入りの場所』にしました。
そして「春が来た頃、あの花子がやってきた」、
というところで終わっています。
この『花子』なる存在って何なんでしょう?
近所のイタズラ好きな少女?
親戚の女の子?
飼っているペットの名前?
ところがところが、
アッと驚く意外な存在が『花子』なんです。
そして最後にはホロっとさせられる結末。
さあ、どうぞゆっくりとご賞味ください。
メグミ444さんの力作(爆!)、「花子」・後編です。
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花子(後編) BY メグミ444
やがて
私のお気に入りのベランダにも花が咲くようになりました。
するとどうでしょう、
小さな蝶や美しい羽根を広げるアゲハチョウ、
優雅に飛ぶ黒アゲハ、
名前も知らない虫たちなど、
たくさんの虫たちが遊びに来てくれるようになりました。
その中の1匹が今回紹介する花子です。
それは当然のようにやってきました。
気がついたときにはすでに家にいたのです。
ベランダでのんびりと飛び回っている虫たちが、
間違って家の中に入ってしまうとそれはもう大変です。
狂ったように旋回したり、
窓ガラスに激突したり、
それはそれは大騒ぎです。
ところが彼女は違いました。
悠然と家の中を飛び回り、まったく外に出ようともしません。
「オッ、ハエがいる。なんだか嫌だな」、
それが最初の印象でした。
そう、花子は小さなハエだったのです。
「そのうちに出て行くだろう」。
私は見過ごしていました。
ところが、次の日になっても家の中を飛び回っているではありませんか。
それどころか、私の頭に着地を試みて髪の毛に絡まって、
ジジジ、ジジジといってみたり、
大胆にも私が読んでいる本の縁にとまって、
手をスリスリしたりしています。
私はそのハエを観察しました。
体の割には羽が大きく透き通っていて、
意外にきれいです。
黒い体には、あのいやらしいげじげじの毛がありません。
「ん?チョット可愛い….」。
早速私はそのハエに名前をつけてあげました。
「花子」。
名前が付くと花子がどこで何をしているか気になるから不思議です。
チョット見えないと目で探しています。
「電灯にぶつかってはいないかしら?
どこにいるのかしら?」。
ある日、ついに花子は夫に見つかってしまいました。
「ママ、家の中にハエがいるよ」
「ああ、あれはね花子」
「・・・・・・・」。
かくして花子は堂々と家族の一員になったのです。
そうなってみるとおかしなもので、
うるさく飛び回っていたはずの花子は
夕方になると天井にぽつんと黒い点になったまま
オリコウにしています。
食事の邪魔をしません。
本当に不思議でした。
私は花子に特別な愛着を感じていたわけではありません。
ただ花子という名前をつけたハエが家の中にいる
というだけのことだったのです。
そんなある日、オニヤンマでしょうか、
体長15センチもあるような大きなトンボが
家の中に入ってきました。
ほかの虫たちと同じように、
狭い家の中が気に入らないのか、
大きな音を立ててぶんぶん飛び回っています。
そして、いきなり私のすぐ目の前でとまりました。
ほんの手が届きそうなところで
宙に浮いたまま私の方を見ています。
だんだんと怖くなった私は、
目もそらせぬまま固まってしまいました。
どのくらい時間が経ったでしょう。
何十秒?私にはとても長く思えました。
尻尾をピンと張り、
透き通った羽はすさまじい速さで動いています。
その速さといったら
目にもとまりません。
体が隠れてしまうほどの大きな目は、
私一点をにらんでいるとしか思えません。
今にも襲って来そうな気配です。
次の瞬間
ブンブンと家の中を旋回しだしました。
あわてた私はタオルをかぶって床に伏せ、
ひたすら彼が出て行くことを願いました。
そのうちに音が聞こえなくなりました。
どうやら彼は出て行ったようです。
夫が帰ると興奮した私はああだこうだと話しました。
「パパはあんな大きなトンボと
顔をつき合わしたことなんて無いでしょ?」。
次の日のことです、
いつものように朝が来て、平凡な一日が始まりました。
「なんか変だ。あれ?花子がいない」。
花子がいないのです。
「ああああ、もしかしてあのトンボにさらわれたのでは?」。
しばらくは気になっていたものの、
そのうち花子のことはすっかり忘れてしまいました。
そしてまた春が訪れました。
ベランダに花を植えと、
ひらひらと舞う蝶などを眺めて過ごしていたある日、
なんと!!
あの花子が帰ってきたのです。
「・・・・・・・」。
花子は去年と変わらず当然のように
家の中を飛び回っています。
元気に飛び回る花子を眺めているうちに、
私の胸に幼い日の悲しいあの思い出が蘇ってきました。
記憶の中から消してしまいたい
あの、悲しい思い出・・・・・・・
私が家の中を自由に飛び回る花子を見過ごしていたのには
理由があります。
それは小学生の頃のことです。
昆虫採集か押し花を作って提出するという
夏休みの宿題が出されました。
学校にあった蝶の標本がとても気に入っていた私は、
「あんな標本を作ってみたい」
と昆虫採集を選択しました。
毎日、虫籠と虫取り網を持って野原を駆け回ったものの、
蝶はなかなか捕まりません。
ある時、私の前に大きな美しい羽を持ったアゲハチョウが飛んで来ました。
私はしっかりと網を握って狙いをつけ
1回2回と振るいましたが、
やはり蝶は捕まりません。
すると、どこからともなく男の子が現れました。
蝶を横取りにきたのです。
男の子が網を振ると、
羽に当たった蝶は地面にパサッと落ちました。
それを見た私は、
「横取りされてなるものか」
とばかりに自分の網をその蝶にかぶせました。
蝶は網の中でパタパタともがいています。
すっかり興奮してしまった私は、
手がぶるぶる震えてとまりません。
男の子はしばらく私をにらんでいましたが、
興奮している私の様子を見て
黙ってどこかに行ってしまいました。
その後が大変です、
蝶を虫籠に入れたいのですが、
手が震えてうまくいきません。
何回かチャレンジしているうちに、
蝶は私の手を逃れて飛び去ってしまいました。
私はがっかりして家に帰りました。
ふと庭を見ると、
葉っぱの上に白い小さな蝶が
飛び去る様子もなく、じっとしています。
チャンス!
とばかりに難なくその蝶を捕まえた私は、
早速昆虫セットから注射器を取り出して注射すると
背中から針を刺しコルクの上に止めました。
私が捕まえた初めての昆虫です。
翌日のことです、
私は蝶の様子が何かおかしいことに気づきました。
蝶のお尻の下に白い小さな球状のものが
こんもりと盛り上がっています。
気をつけて見ると
それは蝶の卵でした。
私は
卵を産むためにジッとしていた蝶を
殺してしまったのです。
何ということをしてしまったのでしょう。
子供心に大きな衝撃を覚えました。
自分のした残酷な行為と、
蝶をかわいそうに思う気持ちが入り混じって、
どうしていいかわからず
私は泣き叫んでしまいました。
この時の苦い思い出が
心のどこかで働いて
花子を見過ごすよう仕向けていたのかもしれません。
幼い頃の罪滅ぼしだったのでしょうか。
私は動物が大好きです。
折角の機会ですので、
もう一人の私の大切な心のお友だちを紹介します。
専業主婦の私は、
昔風に言うと御留守居役番頭といったところでしょうか。
子分に「ジャズ」という雑種の雄猫を従えています。
ジャズと私の出会いは15年前になります。
私にはとても猫好きの姉がいます。
10匹以上の猫が我が物顔で家の中を歩き回っている、
それほどの猫好きです。
その姉も私と同様に花が好きでした。
ある時、姉から
「バラが見事に咲いたから見にいらっしゃい」
と連絡がありました。
私はケーキなどのおみやげを携えて、
いそいそと姉の家を訪ねました。
たくさんの猫たちに迎えられて家に入ると、
なんと
生まれて間もないかわいい猫ちゃんたちがいるではなりませんか。
ある猫ちゃんは植木鉢の側でじゃれついていたり、
ある猫ちゃんはソファーの上で昼寝をしています。
この日の目的だった綺麗なバラの観賞もさることながら、
かわいい猫たちに迎えられて私は大喜びです。
猫ちゃんたちの母親は、
透き通るような美しいグリーンの目をした血統書つきの
真っ白なペルシャ猫です。
その姿は
ライオンのようなふさふさの鬣(たてがみ)に覆われ、
尻尾の長い毛は花嫁のケープのように流れています。
残念ながら父親はわからないようですが、
子供たちの様子を見て
黒い日本猫系かと想像できます。
母親にそっくりな真っ白のふわふわの毛に覆われた猫ちゃんが4匹。
目がくりくりしていてグレーのふわふわの毛で覆われた猫ちゃんが1匹。
真っ黒で短い毛に覆われ、
顔がやたらに大きく、
尻尾が体に不釣り合いな長さの猫ちゃんが1匹。
猫の赤ちゃんは全部で6匹いました。
私は目のくりくりしたグレーの猫ちゃんをもらうことにしました。
姉との話もはずみ帰る時間になりました。
たまたまその時、
あのやたらと顔が大きくてやせっぽちの猫ちゃんが、
私の膝の上ですやすやと眠っていたのです。
私がもらおうとしていたグレーの子猫ちゃんと比べると、
体も小さく心なしか元気もありません。
「これが縁なのか」、
私はその醜いアヒルの子、いえ猫の子をもらうことにしました。
当時わが家には
「ワルツ」というメスのゴールデンレトリバーがいて、
家族の人気を集めていました。
私は猫ちゃんに
「ワルツ」にちなんで「ジャズ」と名づけました。
ジャズは男の子です。
家に着いたジャズはワルツを見るなり、
背中をヒューット持ち上げ逆毛を立てて身構えました。
牙をむき出してワルツを睨みつけては
シャーと息を噴出します。
その形相といったらまるでゴジラのようです。
「おお、凄い顔だ。もらってこなければよかったかしら」。
ワルツは初め逃げ腰になりましたが、
興味津々の様子でジャズのそばに近寄り、
盛んに臭いを嗅ごうとしています。
一方ジャズは、
後ろ足で立って小さな爪をたて
ワルツに攻撃しだしたではありませんか。
なんと言う利かん坊でしょう。
ジャズはワルツの顔ぐらいの大きさしかありません。
「ギャウ〜〜」
と唸ったかと思うと、
いきなりワルツの首に飛び掛り噛み付きました。
ワルツは、少しは驚いたものの、
「何があったのかしら」
といわんばかりの落ち着いた様子で、
ジャズを振り落し大きな足で押さえつけて
クンクンと臭いを嗅きだしました。
果たしてジャズとワルツの初対面は
ワルツに軍配が上がりました。
それからというもの、ジャズとワルツの格闘の毎日です。
両方とも家の中にいるからたまりません。
私はいつも小さなジャズの味方で、
「いじめちゃだめよ」
とワルツを叱っていました。
ところが、あるとき私は面白い光景を目にします。
ジャズはおとなしく寝ているワルツを挑発して、
わざと追いかけさせました。
散々駆け回らせてワルツの勢いが乗ったところで
スルッと狭いところに逃げ込みます。
すると勢い余った大きなワルツは止まる事ができずに、
ジャズが逃げ込んだ周囲の障害に
ガツンと頭をぶつけてしまいます。
ワルツは大きいとはいえまだ子供でしたので、
幾度となくこの罠にはまってしまうのでした。
私は
悠然とひきあげ得意げに振る舞うジャズの様子を見て、
その頭の良さにほとほと感心したものです
トイレもジャズのほうが優等生でした。
子供だったワルツは
お散歩時間まで待てずに粗相をしてしまうことが
たびたびありました。
そのためトイレ箱を作って躾(しつ)けましたが、
お尻の大きいせいもあって、
いつもはみ出してしまい、
足はビショビショです。
ジャズはというと、
いつもしっかりとトイレで用を足し、
後ろ足で砂をかけてきちんと後始末します。
一度用を足したところに二度と足を踏み入れることはありません。
二匹とも成長するにしたがって、
だんだんとテリトリーが分かれ、
お互いを認め合うようになってきました。
それでもワルツはジャズが気になるのか、
時々追い掛け回しては大きな足で押さえつけて
嘗め回したりしています。
ワルツはジャズが大好きなのでしょう。
背中に敷いては押しつぶしたりしていました
二年ほど経ったあるお正月のことです。
コタツで寝ていたはずのワルツが見当たりません。
不用意にも開け放していたドアーから
外に出てしまったようです。
皆で手分けして探し回り、
新聞やラジオにも手配しましたが、
とうとう見つかりませんでした。
人なつこいワルツは誰かに連れ去られてしまったのかもしれません。
その後、新しく犬を家族に迎えることもなく、
我が家はジャズ1匹という生活が続きました。
ジャズは犬との生活が長かったせいか
あまり猫っぽくありませんでした。
猫には珍しく皆に撫で回されることが大好きです。
抱かれると全身の力を抜いて、
されるがままになっています。
外から誰かが帰ってくると、
飛んできて
「お帰りなさい」
の挨拶をします。
大人になるにつれ、
ジャズの外観はますます精悍さを増してきました。
チョット見にまるで黒豹のような様相です。
その風貌と性格のギャップは驚くばかりでした。
いかにも強そうないでたちですが、
フーと威嚇したあの戦闘態勢は、
ワルツとの初対面のとき以外に見たことがありません。
よその猫が遊びに来ても知らん顔です。
一度だけよその猫と家で喧嘩をしたことがあります。
布団をすっぽりと頭まで被さって、
ワルツとの初対面の時のように
細い手だけをヒュンヒュンと出しているだけでした。
誰の目にも可愛くないそんなジャズでしたが、
私にとっては可愛い可愛いかけがえのない友だちでした。
一緒にお風呂に入り、
一緒に寝る。
そんな生活が15年続いた今年のことです。
年齢を重ねたジャズは、
すっかり食が細くなってしまいました。
心配した私は掛かりつけの獣医に
ジャズを見てもらいました。
「半年持つかな?」。
先生の診断でした。
お利巧なジャズは先生の手を煩わしたことがありません。
いつも私の胸にヒシと頭を押し付け、
痛い注射も黙って我慢しています。
先生が言いました。
「こういう猫は珍しいよ。たいてい大騒ぎで大変なんだ」。
三日に一度の注射を打ちに何度通ったことでしょう?
夏の暑い日、先生が言いました。
「これは3日ともたないな」。
それを聞いた私は、ただただジャズを抱きしめるばかりでした。
流れ出る涙をぬぐうこともできません。
泣きながら家に帰り、
いつものようにジャズをベットに寝かせました。
すると、ジャズは起き上がり
ソファーに飛び乗って
私の膝の上でごろごろ言っています。
「誤診だったのではないだろうか…」、
そう思いました。
次の日の朝、
私のお気に入りのベランダの端っこに
冷たくなったジャズがいました。
ジャズは今、私のラベンダー畑の中で眠っています。
いつの間にか
あの花子も姿が見えなくなりました。
また春になると花子はやってくるのでしょうか。
・・・・でも私は、
花子があの花子ではないことを知っています。
{メグミ444=花子 了}
___________________________
メグミさん、お疲れ様。今回は何度も書き直して原稿を送ってくださって、ご苦労様
でした。
でも、お世辞抜きでいい作品に仕上がったと思っています。
ペットを飼ったことのある人なら、必ずホロリとする結末でした、ねー。
素晴らしいエッセイ、ありがとうございました。
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麻雀ちょこっと豆知識
{PART2}チートイツとリューイーソウ
現在の日本式マージャンが世界で最も複雑で面白いルールだというのには、
明らかな理由があります。
それは、中国から伝わった本来の中国式マージャンに日本独特のルールが加えられ、
何度も改良され、なおかつ、それにアメリカ式のルールも加えられているからです。
つまり、現在の日本式マージャンには、中国、アメリカ、日本の3カ国の手が加えら
れているのです。
アメリカ生まれの役としては、ヤクマンの緑一色(リューイーソウ)が有名ですが、
あの七対子(チートイツ)も実はアメリカ産の役なのです。
セブン・シスターズ、あるいはセブン・ペアーズと呼ばれますが、
ダーティー・ペアーズという言い方もあるそうです。
(女子プロレスの悪役ではありません。爆!)
またリューイーソウは、普通はオール・グリーンと呼ばれますが、正式には、
ポンズ・オブ・グリーン・ドラゴン・アンド・オールグリーン・バンブー
と言います。
また別称として、『ジェイド・ハンド』(ヒスイの役)とも言われるそうです。
ヒスイって緑色なの?(素朴な疑問w)
余談で、英語の名称について。
ドラ牌のドラは本来、ドラゴンの略。
三元牌は、白、發、中を、ホワイト・ドラゴン、グリーン・ドラゴン、レッド・ドラ
ゴンと呼称します。
マンズ、ソウズ、ピンズは、
マンズがキャラクター、ソウズがバンブー、ピンズがサークル。
(異称もありますが基本的にはこの呼び名です)
英語の呼び名もなかなか面白いモノです。
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さて、次はわがご近所ロト(LOTO.6)さんの登場です。
LOTOちゃんの、笑っちゃうくらいの世にも悲惨でケッサクな苦労談、
じっくりとお楽しみください。
___________________________
酒と女と借金と BY LOTO.6
初めまして〜〜、LOTO.6と申します。
筆不精ですが、宜しくお願いします。
あらまあ−さんとはご近所ということと年も同じということで
Jgameで親しくさせていただいております
(。-_-。)ポッ
今回何を書いたらいいか思い浮かばなかったのですが、
つまらない話ですけど、聞いてやってください
(*/0\*)
自分はお酒とギャンブルが大好きで、
今まで死ぬほど失敗を繰り返してきました;;
高校を1年で卒業して
(。-_-。)ポッ
社会に出て、色々な仕事を経験しましたが
19の時にギャンブルで500万近くの借金をし、
返すのに15年以上かかってしまいました・・・
何度となく味わった大勝が忘れられず、
いまだにスロットと麻雀はやめられません。
麻雀は、雀荘で友人達と打つことが多いのですが
たまにフリーで打つこともあります
フリーで打っているときの緊張感はなんとも言えませんね。
最近はスロットにはまっていて、
朝1からご飯も食べないで1日中打っています。
ミリオンゴットという台なんですが
ただ打ってるだけの台なんですけど、
爆発すると軽く万枚突破するのでやめられません。
11月からの収支が100万近くプラスになりましたけど、
出ないと1時間に3万ぺースでお金が消えていくので怖い台です;;
20万勝って次の日に10万負けるなんて当たり前で
諦めて立った台がプレミア引いた時は悔しくて、
そのままキャバクラに行ってしまいました。
キャバクラの話ですが、楽しいけど怖い所です。
何度ふられたかわかりません;;
惚れっぽい性格なので、
チョット気にいった子がいるとひたすら通って口説こうと頑張るのですが・・・
自分は10年以上通っていて年をとっているのに
女の子は入れ替わっているので
若い女の子ばっかり
(。-_-。)ポッ
初めてキャバクラに行った時に一目惚れしてしまい、
絶対口説いてみせると2ヶ月間ほとんど毎日通って頑張りましたが、
いざ告白したら一言
「お客と付き合うなんて考えられない!」
と言われあっさりふられてしまいました 。
・゜・(ノД`)・゜・。ぶわっ
その女の子、1ヵ月後に別の客と結婚すると言って店を辞めました・・・・・
それから10年以上、懲りずにまだ通っています
(。-_-。)ポッ
楽しく飲めればいいや〜〜〜〜
と思って飲んでますが
チョット好みの女の子がいると、同じことの繰り返しです;;
さて、新年早々お金の話をして申し訳ありませんが
自分の借金体験を聞いてください。
今、テレビの宣伝などで
サラ金などのイメージがだいぶ変わっているみたいですが
簡単に借りるとあとが大変です。
自分は、19の時に
ギャンブルなどで400万以上の借金をして
死ぬような思いをしました。
最初は10万円借りて、毎月1万円返せばいいからと言われ、
軽い気持ちで借りてしまいましたけど
その借りやすさから
借りたお金が無くなったらまた別のところから借り、
それが膨れ上がって返せなくなり取立てにあい、
人生終わりかなと思うまで追い詰められました。
楽しいはずの20代を
借金を返すだけに働いただけの年月で過ぎていったのです。
お金を借りた自分が悪いと言われればそれまでですが、
あの苦痛は本人にしかわかりません。
取立て屋に事務所に連れて行かれ、
「今すぐ借金を返すか、漁船に乗って働くか、それとも内臓売るか?」
と脅され、
2日間事務所に監禁されたこともありました。
クレジットで物を買うのも、お金を借りるのも一緒です。
皆さんは、カードなどで買い物をするのに違和感はないですか?
借りたら返す。は、当たり前のことですが、
10万円借りたから借金は10万円では無いのです。
利息があるし、
何年間の間は元金いくらの自由に借り入れと言う甘い言葉に乗ると
ただ利息分は入れられるし期限以内に返せばいいからいいやと、
延び延びになり
こんなに簡単に借りられるなら
と額が増えて
終いには返せなくなる
・・・自分の借金に対する考え方、
甘い人は気をつけてください。
何のために自分が働いているのか?
借金を返すためじゃ悲しいですよね。
自分は最近まで取り立てのほうの仕事もやりましたけど、
自分が借りてた時を思い出すので
長くは続かなかったです。
お金が無い時は我慢する!
これが一番です。
皆さんが楽しい毎日を過ごせますように。
_____________________________
LOTOちゃん、面白い話、ありがとう。
それにしても、アンタはいろんな経験しとるんやなー!
^^;ぷぷぷー
まあこれからも
酒と女とギャンブルとで、楽しい苦労をしてください。(爆!)
今回はあらまあーの無理聞いて寄稿してくれて、ホントにありがとう。
また今後も機会があったら、
世にも涙ぐましくも可笑しい経験談、聞かせてください。
おつかれーー。
打ち上げはまたいつものキャバクラか?・・・(-。-)ぼそっ
(≧m≦)ぐふふぅぅ〜〜
さて、お次は和研さんの出番です。
和研さんは、
そのHNの『意外な由来』を披露してくれました。
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ハンドル・ネームについて(笑)BY 和研
名前、それはとても大事なものであるよね!
親が子供の名前を、考える時は相当悩むもんだね^^;
いろんな姓名判断・占い・方角等々・・・・、
果ては子安さんからお寺の住職さんまで(笑)、
真剣に考えますね。
悩んだあげくが・・・・・・、
そんなはずでは・・・
とか、
そう言う意味ではないのに・・・
とかね。
ほんと難しいもんだね^^。
まがいなりにも、わたくし2児のパパもそうでありました。
↑過去形(笑)
ちなみに、
私の子供は「恵・13歳」「望未・7歳」と言います^^。
なんだか、JRの回し者見たいな名前になってしまったりした(爆)。
親戚関係には、
「3人目はひかりか?」
とか、
会社関係には
「鉄道マニアだとは知らなかった・・・」
とか。。。。
(ノ∇≦、)ノ彡☆ キャハハ!!
せっかく悩んでも、これだもんな・・・・。
今にしてみれば、ハンドルネームもそうだよね。
ほんと「なんでもいいやーー」って、
軽いのりで付けた名前が、「和研」
^^;。失敗した(笑)。
きっと、みんなは大なり小なり悩んでつけたと思いますが・・・・・。
私こと「和研」は、
よく、読み方で「わけんさーーーん」
とか、
変換で「和犬」oU`X´Uノ"彡☆ ガルルルゥー!!とか、
この前は「和歌山研究所の方ですよね」って、
ですよね・・・・って(笑)。
軽いのりだけに、
意味は?
・・て聞かれると
・・・・・・、応えれないのよね!!。
(一部の人は知ってますが^^;;)。
お( ̄o ̄)い( ̄△ ̄)お( ̄o ̄)い( ̄△ ̄)
もったいつけるな・・・って声が
正月から聞こえて来そうだな・・・・・・・・・。
(あとで少し説明します・笑)。
「あらまあー」とかは、平仮名で僕にも読めるし(笑)、
親しみやすいからいいよね!
「おら・おらー」だったら、嫌だしね^^;;。
それに「満福」(ごめんね、許可なく使用して)
とか「恵比寿」とかだったら、
いいこと有りそうで、
思わず手を合わして賽銭わたしたくなるし、
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・・(笑)。
「拓郎」さんは、「吉田拓郎の大ファン」だし、
「タンタン」は連れ込みホテルの名前だし
(ノ∇≦、)ノ彡☆ キャハハ!!(ちがったか?)、
「タンタン」は5歳の子供の愛称だし、
「うーさん」は・・・・・
説明すると長くなるから止めときます(爆)。
そんなこんなで、
ハンドルネームを軽率につけたもんだから、
ある日、
「ハンドルネームを代える」
って言ったら、たくちゃーーーんが、
「イメージがあるから、止めて」
って^^;言われてね。
それもそうだよね、
長くJGameの麻雀サイトに居るからね、
親しい人にはイメージがあるよね^^。
これから何かの理由でハンドルネームを付ける時や、変更するときは
よーーーーーく考える事をお勧めします。
とくに、一年の始まりに
「名前を代えよう」と思った
1500万人の週間あらまあーの続者のみなさま、
ご注意あれ^^。
そうそう、
「和研」の由来は、
「和」は「和枝」・「研」は「研司」です。
まさか、別れるとは・・・・
(ノ∇≦、)ノ彡☆ キャハハ!!
(ノ∇≦、)ノ彡☆ キャハハ!!
ほんと軽率だった
( ̄。 ̄;)ウゥゥゥ・・・・・・・。
BY和研
_____________________________
和研さんのハンドルが、彼女と自分の名前の合体だったとは・・・。
意外でした。
その彼女と別れた、つうう話、もちょっと聞きたいな。(-。-)ぼそっ
続編、期待しています。(爆!)
PS:拓郎さんがよしだたくろうの大ファンだったとは。。。。。
実はあらまあーも、
カラオケでは、『落葉』か『春だったね』か『夏休み』は
必ず歌うほどの
たくろうファンなのです。
φ(・。・)・・・・・
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閑話休題
あらまあーの甥っ子・カズアキが、Jゲームに参戦!
今年中学2年になるあらまあーの甥っ子・和亮(カズアキ)クンが
去年の暮れからJにデビューしました。
しかしモチロン、TVゲーム麻雀しか経験がなく、役も点数もわからないので、
どんじゃら以下のひどい麻雀を打ちます。(爆!)
一度東風荘にも連れて行って
レーティングに関係ないワイ卓で打たせて観戦したのですが、
そりゃもう、ひどいのなんのって。。(爆!)
笑っちゃうくらいのヘタクソです。
トイツがふたつもあればポンしてトイトイを始めます。(大爆!)
Jでは新規登録がかったるいと言うので、
あらまあーが以前使っていたジミなアルファベットのHNをプレゼントしましたが、
10ポイントでバトンタッチしたのに、今はもう7ポイント(爆!)。
何やっとるんじゃいー^^;w
カズアキ君が一緒に打ちたいっと言ってきたときは
8ロビ以降の常連からは遠いロビで打ちます。
間違っても常連のいる1〜4ロビあたりまでには連れて来れません。
なぜなら、カズアキ君は、
どんじゃら型ブンブン麻雀で
クリック・ミスも多いらしいので、
もしあらまあーがリーチをかけて1発で彼がド強い牌を切ってフリ込んだときに、
何を言われるかわかりませんから、ねー。
ほかにフリ込むぶんにはいいのだが。。。。w
さらにもう一人、
以前このあらまあーでも紹介した
ホノルル在住のあらまあーの妹クミコの旦那、ヤスノブ氏も
今年の暮れあたりから
Jにちらほら来ています。
(ちなみに先述のカズアキ君は下の妹チエコの長男で、埼玉の谷塚在住です)
ヤスノブ氏には80ポイントくらいの漢字のHNをプレゼントしたのですが、
先日見かけたら、76ポイント。オイオイオイオイ^^;
誰か身内でもっと麻雀のウマイ奴、おらんのかい!
(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!
というわけで、本来はここで、
この二人をよろしく、ということでHNを紹介するつもりでしたが、
二人が二人とも揃って
「それだけはやめてくれー!
あらまあーの身内がこんなヘタクソだって
たくさんの人に知れるのは恥ずかしい〜〜」
つうことで、
HNは公表しないことにしました。
(='m')プププゥゥゥ
またすでに多くの常連の方々にバレているので(爆!)
ここに公表しておきますが、
あらまあーのトレーニング用HN
『時の翼で翔べ』と
将棋用HN
『夢よ空に翔(はばた)け』は
以前同様、あらまあーが使用しています。
どこかで見かけたら、ヨロシク!
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さて、いよいよ11期・牌王位、ナバ(@naba)さんの登場です。
タイトルは『部屋と麻雀と私』
・・・・・ってオイ^^; どっかで聞いたことがあるゾー。。。
(≧m≦)
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部屋と麻雀と私(爆)BY NABA
いつも週刊あらまあ楽しみにしています^^
まさか自分が書くことになろうとは・・・・・・
あまり文章は得意ではないですが
国語はいつも3でした
誤字脱字ごかんべんを
題名 部屋と麻雀と私(爆)
・・・・・断じてパクッテなんかいません
〜目覚めの章〜
Long long ago・・・・
出だしは英語使ってみたかっただけ^^
私、麻雀という大人のオモ・・(違っ)遊びを知ったのは
小学4年
この頃ファミコンブーム真っ盛り、
私も貯めた小遣いを叩きやっとの想いで購入しました
しかしソフトは初代ベースボール以降、
自分の小遣いで買うことができず
誕生日を首を長〜くして待っていました
そんな時、父親が
「パチンコで儲かったぞー何でも買ってやる♪〜」
の浮かれた声
(この時は、10年後に親父が
まさかパチンコで800万の借金するとは
夢にも思わなかったが・・・)
私は大喜びで当然「ファミコンソフト〜」と叫びました
(この頃ギャグセンスがあれば、家とか車とか女とか(爆)^^
小4ってことで見逃してね)
ってことで
おもちゃ店に親父と一緒に行きました
私がショーウインドーからソフトを選んでいると
親父が熱心に店員から説明を聞いてるではありませんか・・・・
そしてその直後予期せぬ言葉が
・・・・「これ下さい」
(*゜ロ゜)ハッ!!
おいおい君は関係ないやろ、俺はゼビウス買うんだぞ(怒)
そして帰るぞの声
(ノ_<。)うっうっうっひどすぎる
家に帰ると親父がゲームを占拠
・・・・おいおい
気になるソフトはと言うと
「4人打麻雀」・・・・・・当然私は知らん
親父のバカヤロー(怒)
変なソフト買った上にゲームも占拠しやがって・・・・・
泣く泣く昼間、親父のいない時間にゲームしてました
誕生日まではまだ2ヶ月あるしな・・・・・
私は仕方がなく
4人打ち麻雀を意味もわからずやり始めました
(・_・o)ン?これは・・・・・
ドンジャラの大人バージョンか?
漢字ばっかりでよくわからんぞ
マイナス1000点されてなんでへいわ(平和)なんだ?
1局終わったあとの下表示の
30フ×4ハンってなんだ?
私の性格上納得いくまでやらないと気がすまないので
付いていた説明書を見ながら役を覚えました
意味わからないまま
2ヶ月やり続けました
そのころには
七対子・トイトイ・役牌・タンヤオ・ドラ等
覚えて和了ることができるよう
になっていました
それから2ヶ月
・・・・・・デビューの時はあまりにも早くやってきました
婆ちゃん家に泊まりに行ったときのことです
トイレに起きると
夜中にジャラジャラの音
誘われるままに行って見ると
(*゜ロ゜)ハッ!!
そして私は叫んだ
「4人打ち麻雀だー」
親戚一同「おおっ知ってるのか」
の声
私は当然「できるよ必殺技は七対子だー」
と威張った
その声に親父が
「よし、お父さんの変わりにやってみろ見ててやるから」
こうして初夜?の戦いが始まった
緊張しながら牌を慣れない手つきでツモり切る
夜中にこんなに興奮したのは初めてだった
そして公約通り七対子テンパイ
・・・ここで私は親父に
「来たよ」って言ってしまった^^
この頃ダマなんて知らないからね^^
親父は
「じゃーリーチだそれを切って牌を横にして」
そしてツモる前に
「でたー」
親父が「ローン一発」の声
ドラもあってハネマン
・・・・・・そして生の点棒をごっそり
( ̄口 ̄;)カイか〜ん
親戚一同にもすごいと言われ
次の日その話題でちやほやされたのだった
(気分よかった^^)
この時はおかげでTOPだったらしく
次の日ラジコンを買ってもらった
( ̄ー ̄)ニヤリッ☆
こうしてデビュー戦で気をよくした私は
親父がくれた本「麻雀の点数計算」を熟読し
本棚にあった麻雀関連本を7冊読破し
麻雀の奥の深さと面白さを
知ってしまうのであった
〜雀荘化現象の章〜
高校になると私の部屋は
親の帰りが遅いせいもあり
「溜まり場」と化していた
そして麻雀できる人を集め
毎日麻雀する事となる
溜まり場→無法地帯→麻雀部屋→雀荘→悪徳雀荘@ナバ(爆)
と成長?していったのは
あっと言う間のことだった
友人からの年賀状には宛名に雀荘と書いてあることもあった^^
6畳の部屋に8人の男
4人が麻雀
2人がTVゲーム
2人が漫画読み等
これだけいると部屋の空気はタバコの煙で真っ白^^
ゴミ箱は1日で満タンで
皆が帰った後は散らかり放題
でもそんな毎日がとても楽しかった
できるならこの頃に戻りたい^^
ある日私がバイトから帰ると
ジャラジャラ音がする
(・_・o)ン?
誰もいないはずなのに・・・・
部屋に入ると
「遅いから勝手に上がって麻雀してたからー」
の声
( ̄口 ̄;)ギョギョッ
まさに本当に雀荘になってしまっていた
(≧m≦)彡バンバン
〜カッパギ?の章〜
高校生なので
レートは点3で1.2.4.10の3万返し
アリアリの馬100円・200円・
一発200円・役満直1000円・ツモ1000円オール
こんな感じで
本当に毎日毎日麻雀ばかりやってました
私は半壮26回ぶっ続けという記録があります
そしてめったに負けることはなく
毎日カッパギ警報発令していました
そのお金で皆がやるTVゲーム等も買っていましたし
バイト行かなくても困らないほどでした
そんな私が今でも鮮明に思い出せる
世にも奇妙な末恐ろしい対局を紹介します
絶対続く
・・・・第2巻のお求めは最寄の本屋もしくは大人のオモチャ店で
___________________________
ナバちゃん、寄稿ありがとう、そして牌王位復帰おめでとう!
ただ、もちょっと読みたい気もするが。。。。(-。-)ぼそっ
『世にも末恐ろしい対局』って、なんじゃい!^^;
続編、期待しています。w
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麻雀ちょこっと豆知識
{PART3}チー・ポン・カンの語源
チー(吃)とは本来、
中国文字で『飲み食いすること』を意味します。
上家の捨てた牌を「食う」という表現も、そのいわれからでしょう。
またポンは、『ぶつかり合う、出合う』の意。
ニュアンスとしては頷(うなず)けるところがあります。
ところが、問題になるのは、カン(槓)です。
カン『槓』の文字の意味するところは、
「かつぐ」あるいは、「太い棒」という意味。
(太い棒? (*ノノ) キャーー!! などというギャグは、
このさいやめましょう。爆!)
アンカンしたときなど4枚同じ牌を並べて立てた時に
太い棒に見えるから?
イマイチ説得力がないような。。。。(;▼▼A アセアセ・・・
(*≧m≦*)
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はい、お次は可愛い家庭教師、雫ちゃんの再登場です。
今回こそは本音を語ってくれるでしょうか?w
『続・家庭教師の本音』です。
_____________________________
続・家庭教師の本音 BY 雫
みなさま、(b*^0)d (ノ*^▽)ノ オッハーです♪!!
いつもお世話になっています、★雫★です!!!
o(*^▽^*)o~♪
前回、「家庭教師の本音・・・苦笑」とタイトルをつけたにもかかわらず、
まったく本音の部分に達せずに前半を終了してしまいましたので、
後半こそは本音を入り交じらせつつ!!!(笑)
と思って、執筆にとりかからせていただきました☆
よくわからない文章になっているかもしれませんが、
お読みいただけたら幸いです★
さてさて、
前回は家庭教師の生徒のイチゴがテストで良い点をとってきて、
カラオケに連れて行ったという話で終わったかと思います。
それではその続きから(*゜▽゜)ノ
あたしが大学に入学してイチゴの家庭教師をはじめて数ヶ月して、
大学の友達に、
「家庭教師って1件だけやってもたいしてお金にならないから、
雫も私と一緒に家庭教師の派遣会社に登録しない?」
と誘われました。
派遣会社に登録しておけば、
生徒さん側の条件に自分があっていれば
紹介してもらえるシステムになっています。
たしかに家庭教師って時給はいいのですが、
指導時間って90分、もしくは120分、少ない子だと60分
という子までいます。
イチゴの場合120分の指導なので、
1回指導に行くと時給1,300円×2=2,600円ですね。
それを月に8回か9回。
そうするとだいたい2万円ちょっとっていうところでしょうか。
高校のときから塾でバイトをしていたので
家からおこづかいはもらっていませんでしたが、
1年生の頃は一月に携帯だけで1万は使っていたので、
イチゴの家庭教師のお給料だけじゃあきらかに足りませんでした。
それで家庭教師の派遣会社に登録することにしました。
登録に行けばその会社とは契約を結ぶことになりますから、
学生証に印鑑に、お給料の振り込み先の通帳に・・・
と必要な物が結構ありました。
書類にすべて記入した後、
家庭教師をするうえでの説明会のようなものも行われ、
中学生の5教科の問題を少し解かされました。
でもそれはその会社に提出するものではなく、
説明会で隣に座った人と、どんな風に教えるのかを
話し合うためのものでした。
あたしが登録した「家庭教師のト○イ」では
大学を聞かれて学生証を提示するだけで、
特にこれといった学力検査のようなものは行われなかった
と記憶しています。
あたしは市外(A市)の大学に通っているため、
市内(B市:あたしが住んでいる市です。)の生徒さんはよく紹介されました。
ト○イさんの話によれば、
「国立の大学生を希望するご家庭が多いんですが、
みなさんA市に住んでますから、
B市から通っている先生はかなり貴重なんです。」
とのことでした。
そういうわけで
しょっちゅう生徒さん紹介のお電話をいただいたのですが、
イチゴを週2回入れて、夜に講義が入っていたりしたので、
なかなか引き受けることができませんでした。
夏休みになって、
ト○イさんから夏休みだけの短期の指導を紹介されました。
夏休みは自動車学校に通うのとイチゴのバイトしか予定が入っていなかったので、
短期の生徒さんを引き受けることにしました。
5人受け持ちました。
午前10時から90分の子、
午後1時から120分の子、
そのあと自動車学校に行って
夜7時からもう一人バイトを入れたりして、
大学1年生の夏休みは20万ちょっと働きました。
かなりハードでした
・・・もう毎日クタクタ・・・(^▽^;)
ト○イさんは時給1,500円くらいからが主でした。
でもご家庭はその倍は払ってるんですよね・・・。
仲介が入るとかかるお金も高くなりますから、
それは仕方ないのですが・・・。
こんな中、
イチゴが中学1年の秋頃、
イチゴのバイトを辞めたいと思う時期があったのも事実です。
家庭教師って、
ご家庭に行った時は、
自分の具合が悪いときでも、
気分がすぐれないときでも、
やっぱり笑顔でいなきゃいけないので、
相当気を遣わないといけません。
そして生徒の話をいっぱい聞いてあげるのも仕事のうちなんですね。
イチゴはマンガがとても好きで、
その中でも「犬夜叉」っていうマンガが
かなり!!好きなんです☆
いつも「犬夜叉がね〜」って言っていました。
あたしは聞いてもわからなかったし、
毎回毎回同じ話・・・
部活で疲れてか、出した宿題さえやっていないときがあり、
テストでもだんだん成績が落ちてきて、
ちょっとうんざりしてきていました・・・。
それに浪人するかもしれないということで、
イチゴ宅の時給は安く設定しましたが、
自分は浪人せずに大学生
・・・ト○イさんのようなところのバイトをしてればもっと稼げるのに・・・。
そう思った時もありました。
そんな思いが爆発して、
一度だけイチゴにこう言ってしまったことがあります。
「宿題もやってないし、毎回毎回犬夜叉の話ばっかり。
成績あがんなかったらあたし辞めるよ。」
今思うとこんな言葉中学1年生の女の子に言ってはいけない言葉です。。。
なんて無責任な言葉ですよね。
あたしのこの言葉、
イチゴをかなり悩ませてしまったようです。
でも、心底辞めるという気はなかったのかもしれません。
ただ、愚痴を言っただけなのかもしれません。
でもこの言葉をきっかけとして、
イチゴは少し変わりました。
毎回宿題はちゃんとやるようになったし、
自分から進んで勉強もするようになりました。
今ではイチゴはこんなことは忘れちゃってるみたいですが、
あたしにとってはなんだか苦い記憶で、忘れられません。
と、今回のお話はここまでです★
なんだか、堅い話で、
しかも暗いし、
びみょうだったと思います(^▽^;)
読んでくださったみなさん、どうもありがとうございました!!
(〃’∇’〃)ゝ
さらに続き
(イチゴの現状と、家庭教師の苦痛・楽しさ)
を書かせていただきたいと思いますので、
最後までお読みいただければ、
本当にうれしいです★(o^∇^o)ノ
____________________________
ハイ雫ちゃん、おつかれー^^
今回はけっこうホンネ、出てたねー。
それにしても
家庭教師・雫ちゃんと教え子イチゴちゃんには
楽しいエピソードが一杯詰まってるねー^^
次回もよろしくお願いしまーーっす。
って、オイ^^;
いつのまにか、連載になってるし。
(*≧m≦*)ププッ
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さてさて、いよいよ
Jゲームの第1人者、
麻雀博士とも麻雀研究家とも称されるべき大御所(爆!)、
ひいい氏の登場です。
ひいいさんには今後も寄稿をお願いできたら、と思ってはいるのですが、
なにぶんお忙しい身、
今回は無理を頼んで寄稿を依頼しました。
観察力の鋭いひいいさん独特の、
じわじわとこみあげてくるユーモアの世界。
ご堪能ください。
_____________________________
電車・駅での思い出深い三景 BY ひいい
ひいいでっす。
週刊あらまあーの貴重なスペースにお邪魔します。
「天皇と歴史」という文を書いていたんですが、
長いのと、
思想が出てしまってまずいかなぁと思って、
ライトなものに変えましたぁ。
電車・駅での思い出深い三景を紹介します。
1.始発電車の靴
今は深夜を過ごす場所は数多く上げられますが、
私の学生時代はあまり多くはなく、
深夜まで営業している居酒屋もごく僅かで、
深夜喫茶(死語かな)・深夜映画・一部のボーリング場・ゲームセンター、
と言ったところしかありませんでした。
新宿のボーリング場でボーリングもせずにダベって夜を明かす、
そして始発電車で家に帰る、
というそんな無意味なことをやっていました。
徹夜明けで、朝日が妙に眩しい・・・。
新宿駅の山手線ホームで始発電車に乗る人は、
私と同じような暇人で貧乏な学生か、
ホームレス(当時はこの言葉はなくて浮浪者と言われていた)
のような人ばかりでした。
数時間後には乗換のラッシュでいっぱいになるプラットホームですが、
始発の時間では人もまばら。
電車に乗ると、1車両に5〜6人くらい、
といった密度でしょうか。
電車に乗って、シートにどかっと腰を下ろし、
ふと見ると・・・
正面のシートの足元のところに、
靴が1足、あるではないですか。
なぜ、こんなところに靴が?
それは男性用の革靴で
ややくたびれた履き馴らされていたような靴でした。
徹夜明けのぼんやりした頭でしたが、
なぜ、靴だけがここにあるのか
と考えてしまいました。
新しい靴を買って電車内で履き替えて、
古い靴を置いて行った?
ううむ、あり得ない。
しばらくその靴を眺めて考えていましたが、
どうにもこうにも気になって、
私は立ち上がり、
その靴のところに行きました。
足先でちょっと押してみました。動かない!
さらに強く蹴ってみましたが、
動きません。
私はしゃがみ込んで、手でその靴を動かそうとしましたが、
動かないんです。
元の席に戻って、
その靴を眺めながら、
また考え出しました。
靴の裏が固定されている。
接着剤か何かであろう。
なぜ?
誰が、何のために?
真偽のほどは判りませんが、
私がたどり着いた想像上の結論はこうです。
前日夜の終電車、
酒に酔ってシートで寝入るオヤジ。
車内は人もまばら。
悪戯好きな少年が2〜3人、
シートでぐっすり眠っているオヤジの靴をそっと持ち上げ、
瞬間接着剤を靴の裏に塗って、
靴の裏を電車の床にくっつけてしまいます。
そして少し離れたところで見守る少年たち。
車内アナウンスで
「次は○○です」
とオヤジが降りる駅がコールされると、
俄(にわか)に目を醒ますオヤジ。
そして、足を動かそうとして、
動かないことに気づきます。
ジタバタとしますが、
どうにもこうにも靴が床にくっついたままで取れません。
靴を脱いで、手で靴を床からひっぺがそうとしますが、
それもダメ。
やがて電車はオヤジが降りる駅へ。
オヤジは起きたばかりの頭で訳も判らず、
しかし、終電なので降りない訳にもいかず、
逡巡した上で、
靴を置き去りにして電車を降りてしまう・・・。
茫然と自分の靴を見送って・・・。
それを少し離れたところから少年たちが
ゲラゲラ笑いながら見ている。。。
これは私の想像でしかないのですが、
思い出すたびにおかしくておかしくて、
笑ってしまうんです。
良い子のみなさんはくれぐれも、こんな悪戯はしないように。
2.コートのボタン
社会人になって1年目に、友人から聞いた話です。
その友人は、
自宅最寄りの荻窪駅から中央線に乗って新宿駅で山手線に乗り替え、
会社のある五反田駅まで通っていました。
ある冬の朝、
友人はいつものように新宿駅で山手線に乗り込みました。
平日朝は猛ラッシュです。
ギリギリでドア際に入りました。
そこに後からさらに乗り込もうとするオヤジが。
満員電車での通学・通勤経験のある人なら判ると思いますが、
混んでいてもドア際は楽なんです。
電車内の中寄りにいるよりも、
ドア際の方が無用な圧力を受けづらいんです。
そこで、私の友人はささやかな抵抗をして、
ドアの閉まり際(ぎわ)に
うりうりとオヤジを押したんだそうです。
冬の着膨れラッシュ、
車内はぎゅうぎゅう詰め。
しかし何とかオヤジは乗り込むことに成功しました。
新宿→代々木→原宿→渋谷、
渋谷に着いて車内は若干すきます。
隣の人の圧力を感じないくらいになります。
そして、恵比須→目黒→五反田・・・。
朝の山手線内回りは、
この区間はだんだんとすいてきます。
人と人とは接触しないくらいにすいて来たところで、
先ほどのオヤジは背伸びをした状態でドアにへばりついています。
混んでいる時には、
周囲の誰も、そしておそらく本人も気づいていなかったのでしょうが、
何と、
そのオヤジのコートのボタンがドアに挟まってしまっていたのでした。
ドアに「ボタンの足」を挟まれたようで、
構造上、ドアが開かなければドアから離れられません。
外から見たら、
山手線のドアにボタンが付いているように見えたことでしょう。
そのオヤジ、
照れくさいのか周囲に判るように
しきりに色々独り言を言っていたそうです。
「コートのボタンが挟まれちまってよう」
「動くに動けねえや」
「渋谷でこっち側(進行方向左側)開くだろ?」
「あーー、開かねえじゃねえかあ」
「おいおい恵比須だ、おれ降りる駅だよ、降ろしてくれえ」
「背伸びして乗っちゃったからなあ、つれえなあ」
周囲からは
耐えきれずクスクスと笑い声が漏れていたそうです。
しかし、
進行方向左側のドアは、
渋谷でも開かなければ、恵比須でも、目黒でも、五反田でも、大崎でも
開かないのです。
五反田で私の友人は降りてしまいましたが、
そのドアは品川に着いてやっと開くことになります。
私の友人が五反田で降りる時にも、
まだぶつぶつと言っていたそうです。
「コートのボタンがさあ、挟まっちゃっててさあ」
五反田に来れば、かなりすいている車内、
1人でドアに背伸びをしてぴっちりと寄り添っていたそうです。
3.老人と階段
中学時代に上野駅で見た光景です。
上野駅構内のコンコースを老人が歩いていました。
90歳くらいだったと思います。
背は低かったのですが、
胸板は厚くて姿勢もいい
がっしりした感じの老人でした。
がっしりしていても、かなりのご高齢、
足元はよぼよぼとしています。
その老人は私の前を歩いていて、
コンコースからプラットホームに降りる階段に差し掛かりました。
何か危ないなぁ、
とイヤな予感がしました。
ご老人なら手すりにつかまって欲しいものです。
しかし手すりのない階段の真ん中を降りようとしました。
そして、
私の目前で、
階段の第1段目に躓(つまづ)いてしまったのです。
かかとが滑ったような感じで、
1段目を踏み外し、
逆の足を出しますが
これが2段下に、
そして最初の足が4段下に・・・。
1段抜かし、2段抜かし、
と体勢を整えようとするがために、
勢いがついてしまいます。
そして、3段抜かし、4段抜かし、
とどんどん加速。
90歳くらいのご老人です。
私は全身がヒヤーーッとしました。
転んで頭でも打ったら命を落とす危険性もあります。
勢いはどんどんついて、
4段抜かし、5段抜かし
・・・最後は空を飛ぶかのよう・・・・。
着地する時が最も心配でした。
しかし、若い頃にスポーツでもやられていたのでしょうか、
見事に着地します。
そして惰性でしばらく走り続け、
その速度も遅くなって、
歩くくらいのスピードになり、
ほっとしたところで、
・・・ポテっと、転んでしまいました。
何人かが近寄って助け起こしましたが、
別段、異常はなかったようです。
誰ともなく、拍手が沸いてきて、
私も一緒に拍手をしていました。
無事でよかったという思いと、
若くて運動神経が発達している人でもなかなか同じことはできないだろう、
という思いからだと思います。
妙に感動しました。
上野駅階段の空翔(かけ)る老人の光景は、
今でも私の目に焼き付いていて、離れません。
他にも電車ネタはたくさんあるのですが、
よくよく考えてみると、どうにもシモネタが多いため、
割愛します。
pqpqpqpqpqpqpqpqpqpqpqpq
ひいい
hiii@pd6.so-net.ne.jp
http://www.ix3.jp/hiii/
_____________________________
いやーー面白かったです、ありがとう!
ひいいさんの文調っていうのは、ドカーンと一気にくる笑いと言うよりも、
噛むほどに味がでてくるスルメみたいな
じわーと湧き上がってくるユーモアなんですねー。
あらまあーは、明け方にこの原稿読み返しているうちに
『空かける老人』というフレーズが
妙にツボにハマって大笑い!
また、第1話の情景で、
若き日のひいいさんが一生懸命に
電車の中でしゃがみこんで
へばりついている靴をはがそうと必死になっている姿を想像して
またツボにハマって、大笑い!
そんな感じでした。
それと、ひとつ感じたことは、
やはり麻雀の強い人は
ディテール(詳細部)の観察力に秀でている
ということでしょうね。
感心しました。
あらまあーもいつの日か、
『空飛ぶオジイさん』に
上野駅で出会ってみたいと思っています。
(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!
ということで、今回はありがとう。
また気分が乗りましたら、ぜひ寄稿、お願いします。
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さて最後は、絶好調・連載、
RENさんの『おじさんバンド奮闘記』
今回は第3回です。
題して、「過去と今の連鎖」
RENさんのお話には毎回感心させられたり
笑わされたり
驚かされたり
の連続ですね。
今回はどんなエピソードが待ち受けているのでしょうか?
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好評連載・おじさんバンド奮闘記
(第三話)
-------過去と今の連鎖 BY REN
第3回 過去と今の連鎖
楽器もどうにか手に入れた。
いよいよおじさんバンドの活動開始だ。
「みんな,やりたい曲があったら書いて」,
ナリジからメールが入った。
私の頭の中にある音楽データは25年前からまったく更新されていない。
果たしてギターは弾けるだろか、
一抹の不安はあるものの,
ナリジと初めて合わせた中学時代のレパートリー
ビートルズの「ゲットバック」を
リクエストすることにした。
「前にタモリさんのペット(トランペット)と
遊びでセッションしたことがあったけど、
エレベ(エレキベース)に触るのはそれ以来だ。
まったく指が動かない。
25年のブランク恐るべし。
“ゲットバック”オッケーよ。
娘が歌いたいって言っているけどいいかな?
椎名林檎の“正しい街”と“丸の内サディスティック”をリクエストするね」。
ナリジから返信が届いた。
私の不安をよそにナリジのメールからは余裕が伺える。
続いてジョーからのメールが届いた。
「ビートルズをやるなら“Don’t Let Me Down”をやろう。
ビートルズで唯一ソウルを感じる。
あと,Mesia。うちの娘が歌うからよろしくね」。
かくしておじさんバンドに眩しき華が加わることになった。
昔、パートリッジ・ファミリーというアメリカのファミリーバンドがあった。
日本でも人気のテレビ番組になっていたが、
一族で楽しそうに奏でる姿に憧れたものだ。
まさかこの年になってあれを体現できようとは、
過去の予測を超えたところで展開しているおじさんバンドの人間模様に
何とも言えない面白さを感じて止まない。
初めての練習は、
国分寺市の公民館のスタジオを借りて
ジョー、ナリジ、ショーゾー、私の4人で行なった。
私が公民館を利用したのはこれが初めてだった。
日曜にもかかわらず、たくさんの人たちが利用している。
合唱や詩吟を楽しむ人たちの和やかな雰囲気の中にも
一生懸命な歌声がどこからともなく響いてくる。
スタジオは地下にあった。
小さな窓から中を覗くと
若者たちが練習に精を出していた。
私の子供くらいの年齢だろうか。
「お待たせしました」「お疲れさま」。
自然に挨拶を交わしながら入れ代わる。
この若者たちの眼には、
我々おじさんバンドの面々がどう映っているのだろうか?
不安だらけの私には、そんな些細なことでも気になって仕方がない。
余談だが、
私が幼少期から高校時代までを過ごした国分寺市を紹介する。
国分寺は新宿からJR中央線の特別快速に乗って21分の距離にある。
私が小学4年生までは「東京都北多摩郡国分寺町」だった。
封筒や葉書の宛名には「東京都下国分寺町」と書かれていたことを思い出す。
府中街道の泉町交差点(ローカルですみません)に市内で第一号の信号機が取り付け
られた時には、
朝礼で校長から
「赤信号は止まる。青になってから渡るのですよ!」
と教示された。
今でこそ閑静な住宅街だが、中学時代までは近くの立川基地から離発着する米軍機の
騒音に悩まされたものである。
立川基地は、今では返還されて昭和記念公園となっている。
駅から20分ほど歩いた所に、かろうじて武蔵野の面影を残した武蔵国分寺跡がある。
この寺は741年に聖武天皇の勅願により、全国に建立された国分寺、国分尼寺の一つ
である。
当時の寺は、1333年に新田義貞と北条泰家が戦った分倍河原(ぶばいがわら)の合戦
で焼失し、今では礎だけが残る草むらになっている。
この広い草むらは、私たちの遊び場になっていた。
そのはずれに七重の塔跡がある。七重の塔跡の広場には、灰色をした分厚い瓦がごろ
ごろと落ちていた。
小学生だった私は、友だちと空手の瓦割を真似して遊んだ。小学生の幼い手では到底
割れるものではない。友だちの目を盗んでは足で踏み、
「ほら、手刀で割ったぞ」
などと嘯(うそぶ)いたものである。
何年か前になるが、久しぶりで国分寺を訪れ、
住職が住む境内の片隅にある小さな資料館に入ってみた。
するとどうだろう。この地で発掘された縄文土器などと一緒に見覚えのある瓦が展示
してあるではないか。五重の塔で使用していた瓦のようだ。
紛れもなく私が足で踏みつけて割っていたあの瓦である。
何と私たちは貴重な文化遺産を遊び道具にするどころか、足蹴にして粉砕していたの
である。
1333年に七重の塔が焼失してからずっと瓦が広場に放置してあったことにも驚いた
が、何と罪深い話だろうか。私は冷や汗をかきながら、資料館を後にして五重の塔跡
を訪ねてみた。今ではさすがにひとかけらの瓦も残されていなかった。
国分寺での初めての練習は、予想どおりのボロボロである。
昔は特に意識することもなく、感覚で合わせていた間(ま)がどうにも合わないの
だ。
カウントを刻んでも一向に合わない。
「ゲットバック」の間奏のギターソロで、
「たたったたん たたったたん」
とリズムを刻むところがあるが、まったく手がついていかない。
25年という歳月は私から音楽で最も大切なリズムを奪い去っていた。
そんな私とは対照的に、ジョーとナリジはさすがである。
リズムにまったく狂いが無い。
意外だったのはショーゾーだ。
これがまた予想外に上手いのだ。
弦を押さえる指は滑らかに動き、
チョーキング(弦を押さえた指で持ち上げて音程を変える弾き方)も
きれいにビブラートさせている。
私は気持ちばかりが逸ってしまった。
皆の足を引っ張らないようにと思えば思うほど、リズムは狂ってくる。
ともあれ、久々のバンド演奏は実に楽しい。
私はこの思いを共にする純粋な目的が半分、
自分のボロ隠しの道ずれを探す不純な目的が半分で
二人の人間をメンバーに誘うことにした。
一人が私の弟である。
弟は泌尿器科の医者をしている。
初めは獣医大学に入学したが、
「生存させるか生を絶つか」
の選択が常に付きまとう獣医の世界に疑問を感じ、
「最後まで生に最善を尽くす医者の道に進みたい」
と大学受験をやり直して医師の道に進んだ。
確か弟はレコードをたくさん持っていた気がする。
ギターも持っていたはずだ。
弾いているところを見たことはないが、音楽好きには違いない。
私は楽しみを共にする目的をもって、弟にバンドへの参加を呼びかけた。
「え、いいなぁ。やりたいなぁ。ぼくもいいの?」、
弟の反応である。
弟はナリジやジョー、ショーゾーと面識はあるものの、
一緒になって遊んだ記憶はない。
私はメンバーに電話した。
「弟が参加したいって言っているけど、いいかな?」
「もちろんオッケーさ」、
全員から二つ返事が返ってきた。
二度目の公民館での練習日のことである。
朝起きて間もなくすると、弟から電話がかかってきた。
「今日練習だよね。どうしようかな…」
「来たらいいよ。皆には話してあるから」
「よろしくお願いします」。
昼食を済ませ、ギターをケースに入れて出かける準備をしていると、
また弟から電話がかかってきた。
「やっぱり、いいや。皆よく知らないし。ありがとうございました」
「わかった。やりたくなったら、また電話ちょうだい」。
弟が遠慮するのも無理はない。
何しろメンバーは私の同級生だ。
その私とて25年ぶりで再会したのである。
「残念だけど、縁がなかったかな」、
そう思いつつ駅に向かって歩いていると、またまた弟から電話がかかってきた。
「やっぱり、やりたい。行ってもいい?」。
時間より早く公民館に着いたおじさんバンドの面々は、事務所の隣にある待合室でス
タジオが空くのを待った。
すると弟がハードケースから年期の入ったセミアコを取り出した。
「お!335(サンサンゴ)だ。かっこいい。ちょっと弾かせて」、
即座にジョーが反応した。
やった、高校時代に私が衝撃を覚えた伝説の
「ハートブレーカー」(グランドファンク)、
若しくは「地球はメリーゴーランド」(ガロ)
が聴ける、と思いきや
コードを2、3爪弾いただけで335を弟に返してしまった。
ちょっと拍子抜けである。
335とは、ギブソンのセミアコ(セミアコースティックギター)で名器らしい。
ブルースを好む人たちが愛用しているようだ。
ナリジが笑いながら言った。
「でも、あんまり弾いてないみたいね」。
弟の335は糸巻と弦が、触れただけでその錆が伝染するのではないかと思えるほ
ど、ものの見事に錆びてついていた。
暫くするとスタジオを使っていた若者たちが事務室に鍵を返しにきた。
弟は335を抱え、ブルース風のアドリブを弾きながらスタジオに向かって歩きだし
た。
若者の視線がやたらと気になる私からすると考えられないことだ。
私は見知らぬ人に自分のギターを見られるだけでも恥ずかしくてたまらない。
それに比べて弟のとった行動は、電話で見せたあの躊躇からは想像できない大胆さで
ある。
これが人の生死と常に向き合い、時には患者の家族を思いやり、時には鬼となって過
酷な病名を宣告しなければならない医者という職業人の成せる業なのか。
かくして弟のシゲがメンバーに加わった。
私の道ずれという目的を6割、楽しみの共有の目的を4割の比率をもって、
中学、高校時代の同級生オカコをバンドに誘うことにした。
オカコを誘ったのは、おじさんバンドの話があった直後に開かれた
高校時代のクラス会がきっかけとなった。
すっかりとおばさんと化した同級生のご婦人方の中にあって、
照明効果も手伝ってかオカコは比較的若そうに見えた。
ジョーは隣のクラスだったので本来はこのクラス会への参加資格が無かったが、
私が幹事に頼んで特別参加の枠に加えてもらっていた。
ジョーとオカコは、それまでまったく接点が無かったのだ。
クラス会の二次会で、私の側に座ったジョーが隣のオカコに言った。
「あなたはこの中で光っていますね」。
多分このくだりは後でジョーが否定すると思うが、
この一言がオカコを誘う決めてとなった。
一緒にバンドを楽しむには好印象がなければ不協和音を生じて長続きしないと思っ
たからである。
私とオカコは高校時代から比較的仲が良かった。
オカコは歌が上手かった記憶がある。
ベッツイ・アンド・クリスの「白い色は恋人の色」という曲で、
当時流行っていたテレビ番組の「スター誕生」のオーディションを受けたこともあ
る。
この時は惜しくも二次審査で落ちてしまった。
メンバーとなったオカコは私の期待を裏切らなかった。
歌はうまいのだが、1小節の区切りが微妙にずれる得意技の持ち主なのだ。
我々の伴奏と合わせると歌い出しが、なぜか1拍ずれる。
それでも本人は気づかずに歌い通す。
ジョーはドラムを叩きながら大笑いである。
今年のライブで、後にメンバーに加わる山ちゃんと「星空の二人」をデュエットした
が、
山ちゃんが伴奏に合わせてちゃんと歌っているにもかかわらず、
「間違っているわよ」
と言わんばかりに、山ちゃんの袖を引っ張り、
1拍ずれている自分のペースに山ちゃんを引きずり込む。
またしてもジョーがドラムを叩きながらひっくり返らんばかりに大笑いをする。
オカコは練習スタジオでは出番が来るまで隅っこに座り込んでウォークマンを耳に、
必死で自分のパートを聴き込んでいる。
いつもスタジオで元気がないので心配するが、どうしてどうして。練習後の飲み会に
なると打って変わって途端に元気一杯の主役に早変わりする。
ラルフローレンのバイヤーを勤め、アメリカにちょこちょこ出張しているオカコは、
おじさんバンドの会計係と飲み会での注文係を担ってくれる無くてはならない存在な
のである。
さて、あらまあーさんから聞いて驚いたのだが、
Jgameの皆さんは私を優等生と思っている方が多いらしい。
とんでもない話である。
私の知人にとっては、言わずもがなのことであるが、
誤解を受けたままではPCに向かってネット麻雀をしていても
どうにも椅子の座りが悪くて落ち着かない。
恥を凌んで高校時代の一端を紹介するので、どうか誤解を清算いただきたい。
私は勉強が大嫌いだった。
テスト前ですら一向に机に向かおうとしなかった。
当然テストの結果は推察のとおりとなる。
勉学に奇跡など存在しない、これは経験から得た私なりの結論である。
それでも自分より成績が低い者がいるかどうかを気にかけていたところは、
まだ救いの道が残されていた証だったのかもしれないが、
心を入れ換えて更生しようなどという気は毛頭起こらなかった。
私の周辺では,答案が返されると決まって繰り返される恒例行事があった。
それは始発駅の私から始まる。
答案の点数を確かめると、
「あいつの方が当然低いはず」
とばかりにA君の点数を探りに行く。
下の存在を確かめては束の間の安堵感に浸るのだ。
さて穏やかでないのはA君である。
A君はさらに点数が低そうなB君を探し出す。
さらにB君はCを、
といった光景が何度か繰り返されて、
終着駅のD君にたどり着く。
私にとってD君は麻雀に例えるところの「安全牌」である。
しかし、いくら安全牌を蓄えていても役作りの努力をしなければ、
点棒をゲットすることはできない。
それが分かっていながら一向に勉強しようとしないところに指定席に甘んじている安
全牌たちの勉強嫌いたる所以がある。
成績優秀組の周辺では、逆の現象が生じていたのかもしれないが、
残念ながら経験が無いので紹介できない。
バンド活動が盛んになりだした高校2年の1学期まではまだよかった。
テストの点数に結びつく微々たる知識の蓄積にも多少の余力があったようだ。
手持ちの安全牌に余裕があった。
しかし、燃料を補給しない自動車は、いつかはガス欠となりエンストをおこす。
2学期になると、
いつの間にか私が終着駅となってしまった。
逆安全牌現象である。
私の高校は新設校で私は2期生だった。
1年の時には卒業生どころか3年生もいない。
歴史のない新設校では、
学校行事やクラブ活動などすべて自分たちで新しく築いていかなければならない。
そのせいもあってか、教師やクラスメイト間の信頼関係が厚く、
催しなどがあると男女関係なくクラスが一致団結して取り組んでいた。
私のクラスメイトと、ハコ(第1回で登場した中学時代の同級生)の高校のクラスメ
イト30〜40人が大挙して私の家に押しかけ、全員で泊まっていくという
考えられないような出来事も平気で何度かあった。
ハコも新設高校の1期生だったのだ。
Jgameの常連さんに私の高校生活を話したことがある。
「ひと昔前の学校のようだ」
と感想を述べられたが、
あるいは新設校という環境にその要因があったのかもしれない。
私がこの高校を受験したのには訳があった。
話は小学4年生にさかのぼる。
野球少年だった私は、
夏の練習がない日には決まって近所のプールで1日の大半を過ごしていた。
もともと水泳は得意だったが、監視員のアルバイトをしていた大学生のお兄さんと親
しくなり、
同級生数名と競泳を教わるようになった。
そのお兄さんのお世話で市の水泳大会に出場しては、
仲間うちで上位を独占しゲットした賞品を
プールサイドの一角に集めて大はしゃぎしたものである。
そのお兄さんの家は、私が通っていた小学校のすぐ近くにあった。
学舎の3階まで上れば、教室と反対側の廊下の窓から家の中までが一望できる距離
だった。
お兄さんの家の庭には卓球台が置いてあった。
私は授業が終わるとお兄さんの家に飛んで行く。
いつしかお兄さんの家の卓球台は私たちの格好の遊び場となった。
そこに行けば誰かしら友だちと遊べたのだ。
お兄さんのお世話で、同級生と市の卓球大会にも出場し、
まずまずの成績を残していた。
まずまずというのは、
市内にあった私営卓球場のクラブチームも出場していたからだ。
さすがにそのチームにはどうやっても敵わなかった。
このお兄さんには私より4つ年上の弟がいた。
私が中学生になると、その弟さんと同じ野球チームでバッテリーを組むようになっ
た。
私のチームは、大人に混じって市の野球大会に出場し
常に優勝を争っていた。
運動好きな私を指導してくれたこの兄弟には、少し離れた市にある中学校の校長を勤
めるお父さんがいた。
小学生の私から見るとお父さんというよりは、おじいさんと言った方が正直な印象
だった。
ある時そのお父さんが言った。
「今日の教師の卓球大会で準優勝だったぞ」。
「準優勝!おじさん、すごいね」。
「ん?去年は優勝だったんだぞ。どれワシとやるか?」。
「こんなおじいさんに負けっこないやい」、
そんな意気込みで挑んだものの、まったく歯が立たない。
お兄さんの家の庭から卓球台が消えるまで、とうとう一度も勝てたことがなかった。
このおじいさん、いやおじさんこそが母校の新設とともに中学校の校長から母校(高
校)の校長になられた先生だったのである。
私が終着駅となりさがった日曜日の早朝、
校長から家に電話がかかってきた。
「REN、担任のところに成績を聞きに行った。明日の職員会議で間違いなくお前の
名前が出る。言い訳を用意して今から家に来なさい」。
私の出来の悪さがついに校長の知るところとなってしまった。
言い訳など思いつくはずもない。
なるようになれとばかりにノーガードのまま校長のお宅を訪ねた。
校長は開口一番言った。
「お前は入学した時はまあまあだったのに、今の成績はどうした。女か?」。
校長という立場とはあまりにも似付かわないストレートな物言いに呆気に取られたこ
とを覚えている。
詳しいやりとりはさすがに忘れたが、
「私は勉強が嫌いです」
と訴えた記憶がある。
校長は意外にも終始穏やかだった。
小学生の頃から庭で遊び回り、運動ばかりしていた私をよく知っていたからかもしれ
ない。
校長が言った。
「お前たちは恵まれている。全員私が集めた先生に教わっているのだからな」。
そして先生方一人一人のことを話して下さった。
「職員会議で本人が次は頑張ると言っている、と言っておく。次は本当に頑張らんと
いかんぞ」。
確かそんな有り難い結びで解放されたと思う。
後日担任の教師から職員室に呼ばれ、
「お前と校長は一体どういう関係だ?」
と、しつこく聞かれた。
高校を卒業してからも、
校長とは親しくお付き合いしていただいている。
私が働いてからも校長の家に遊びに行ったり、校長が私の家にも遊びに来て下さった
こともある。
一緒に母校を訪ねたこともあった。
校長は母校の現職の校長に
「ワシの友だちのRENだ」
と紹介して下さった。
「友だち」との思わぬ格上げに大いに照れたものだ。
気持ちが大きくて心優しく温かい、
校長は私にとって最大の恩師であり、
尊敬すべき人生の大先輩である。
何とも恥ずかしい青春の一コマだが、
この時の安全牌の精神とクラスメイトとの繋がりが、
25年経っておじさんバンドの活動に生かされた。
かつての人間関係や経験が
思いがけないところでひょっこりと顔を出しては今の生活と連鎖する。
これがあるから人生はやめられない。
(「第3回 過去と今の連鎖」終わり。ここまできたら続けるか…)
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編集後記
RENさんをはじめとして、執筆陣の皆さん、
どうもありがとう。
そして最後まで読んでくださった読者の皆さん、
ありがとう。
今年もいい年であることを祈って、
またレギュラー版・あらまあー15号で
会いましょう。
あけおめ、ことよろーーー。
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